<アスガルド 神の巫女>

第二幕

神の巫女 × 蒼紅裂帛
〜冥の断罪〜




第六話 硫酸の一撃


【旅は道連れ世は情け〜……っと。てなわけでだなっ!】 ルロクス


せっかちと怠け者、はたして太陽はどちらなのか。どちらともとれるだろうし、結局廻っているのはこの星なのだから、言いがかりもはなはだしい。一週間が七日である理由も、一日が二十四時間である恩恵も、いちいち問い詰めだしたらきりが無く、そんなことをしていたら日が暮れて朝になる。
 そして目下重要なのは、紛れも無い今現在を刻む時の経過によって、いずれしびれを切らすドロイカンマジシャンが、何をしでかすかも分からないということだ。
 今はこれしか思い浮かばない、だからこれに賭けてみるしかない、とアクアは早急にアウェルから円型のバックラーを受け取り、毎度何でもないようにマジックシェルを唱える。次いで、向こうからある程度距離を保った位置でドロイカンマジシャンに背中を向けた。そして、ジルコンとマクトがアクアを前後からはさんでしゃがみこみ、己が手を靴の下にさしこみ、つかむ。どことなく組体操のやぐら≠フ仕込みを思わせた。ルゼルはその様を目の前で見守っている。残り、テルヴァはアクアにサポーターズとセーフガード。カスィとアウェルはそれぞれ斜め左右からドロイカンマジシャンの注意を引きつけたり、周囲の援護をはかる。ルロクスは、今にも食いかかるようにじっと搭乗者を鋭く見ている。
「――よし、いいぞ」
 アクアが気持ち前へかがみ、ひざを曲げた。三人で間合いをそろえ、ジルコンとマクトは、

 アクアを思い切り、何もない空へと放りあげた。

 ニュートンとかいう学者があの光景にはち合わせていたら、発狂するか歓喜するかの、まずどっちかだと思うよ、とアウェルは後に語っている。飛んだのではない。跳んだのだ。マクトはアクアの両足の前方を、ジルコンはアクアのかかとを持ち上げた。
 力のあるマクトがジルコンより早くアクアを上へと送り出す。そうなれば力学的に考えて力の均衡は成り立たず、飛ぶ方向は垂直ではなくなり、放物線を描く形となる。
 アクアの狙いはまさにそれだ。
 ドロイカンマジシャンの背後。
 そして、搭乗者の背後だった。
 ――その一瞬だけ、狂気にでも駆られたかのような笑みが顔に刻まれたのが、ルゼルの目に見えた。気がする――アクアは足をそろえたまま、新体操選手のように巧みに空を舞って、135度に届くか否かの角度に達したとき、
「ルゼル!」
 左腕に通していたバックラーをルゼルに仕向けた。
「はい!」
 ルゼルは躊躇することなくハリケーンバインをアクアめがけて放った。
 石の魔力を含んだルゼルのハリケーンバインは、気流一つと乱すことなくマジックシェルで鏡のように反射され、搭乗者の背中へと見事に命中した。
 搭乗者が、カスィから魔力の壁を揺るがす程度の威嚇射撃をくらい、逆襲しようとしたそのときに、身を刻むような迎撃を背中に受け、袋を手から落とした。その隙にジルコンが反射的に行動し、カスィを救助する。
 未だに宙にいて落下しつつあるアクアが叫ぶ。
「ルロクス!」
「おおっし! フリーズブリード!」
 穴が穿(うが)たれるほどドロイカンマジシャンを睨んでいたルロクスの氷が、地面へこぼれ落ちた袋をそこかしこに閉じこめた。自分の狙い済まし具合に両膝を叩いて叫ぶその隣、上等、とアウェルがその氷塊に接近する、とっつかんで投げてよこした。マクトがそれを横っ飛びに受け取り、氷を砕いて取り出した。
 このときやっと、獰猛な表情を溶け残したままのアクアが着地し、
「思った通りだ――包んでいた魔力が消えた」
 しかし、そこで安心はできなかった。
 奇襲を受けた搭乗者が手元を狂わせ、手綱を中途半端に引っ張った。そのため龍がぐいと首をのけぞらせ、混乱して騒ぎ始めたのだ。搭乗者も制御しきれず転落し、哀れ同時に鎧の隙間からアクアの仕込み杖の餌食になった。鎧に包まれていた搭乗者固有の魔力が果て、霧散するのがアクアにはよく視えた。
 抑える者がいなくなったのでいよいよ龍は気炎万丈となり、嵐を呑み下したようにのたうつ。ルゼルとジルコンとルロクスはその雄叫びに仰天し、距離をとろうとしたが、アクアたちはさしたる反応も見せず、申し訳程度にそれぞれの後ろへと引き下がった。
「すいません、それでは……お休みなさい」
 みんなの無事が優先だと思わせるような口調、龍のふもとへ忍び寄っていたのはマクトで、次の刹那、龍の足とも腹部ともとれる箇所へ、左足を軸におよそものすごい角度の上段蹴りをぶちかました。
 きっと一たまりもない。
 加減の一つも入ってない。
 断末魔の一つも上がらない。
 もし三体並んでいたとしてもおつりがくる。
 ただ空を仰いで目をむき、先ほど以上に背をのけぞらせ、空えずき、青い煙のようにふっと宙へほどけて消滅した。

 こうして俺−−−ジルコンとルゼル、ルロクス、そしてアクアさんたちのちょっとした冒険はやっと幕を降りた。
 かと思われた。
 石を奪還し、帰り道を急ぎ、俺たちは這々(ほうほう)の体(てい)で命からがらルケシオンへ逃げついた。
 その道中、ルゼルはアクアさんから不意にこんな痛い指摘を受けた。

 ――お前は自分が悪人になってしまうことを恐れているんじゃないのか。
 突き刺さった。深くえぐり込むように。
 その一言だけでルゼルの内面が一気に凍えたのを、俺は切なくも見て取った。
 俺もルゼルも、そしてルロクスも油断していた。それは認めざるを得ない。
 ――お前のさりげない仕草や話し方を聞いていたらなんとなく分かる。セルカが何者なのか、何をしでかしたのかは知らんが、お前はそれを非常に悔やんでいて、今もなお恐れている。あたかも自分が犯した過ちのように。深追いすることとなるがそこをあえて言う。お前結局自分が傷つくのが怖いだけだ。違うか? ルゼル。
 ルゼルの無意識の底では、本当にそんな気持ちがあったのかもしれない。罪の意識をごまかし、自身の傷をなめ、現実逃避という死んだふりをまねる。けれど、そんなよこしまな考えを第一にルゼルは旅をしているわけではないし、アクアさんももちろん分かってくれているはずだ。ただちょっと揺さぶって、ルゼルに再確認をさせてあげたかったのだろう。
 だから俺は、ルゼルに代わりに答えた。
 ――ルゼルは……ただ本当に、セルカさんを助けたいだけです。それ以上のことは望んでいません。俺も、それにルロクスだって、同じ気持ちです。
 ――それなら問題ないだろ。何もおびえる必要はない。……自分を見失うなよ。

「みなさん本当にありがとうございました。またご縁があればお会いしましょう」
「出来れば二度と来てもらいたくないが」
 こうして俺とルゼル、ルロクス、そしてアクアさんたちのちょっとした冒険はやっと幕を降りた。
 かと思われた。
 お礼の言葉もまず気づくべき、というより、察するべきだった。
 角を突き合わせるべき相手を見つけたルロクスが、借りを食らったまま、やすやす引っ込んでいるはずがないのだ。
 見送ってくれるらしいアクアさんたちと正対し、ルロクスが石の奥に刻まれている文字を読み上げようとしてふと、
「――あのな、アウェル」
「なに?」
 ルロクスはそこでちょっと猶予(ゆうよ)して、石をもう一個取り出す。
「せっかくだし、一個くらいならあげてもいいぜ」
「本当っ!?」
 アウェルさんは全身でその提言を受け入れる。一歩踏みだし、石に手を伸ばした。
「そらっ!」
「えっ」
 全く同じやり口だった。
 木陰のもと、アウェルさんが再びルロクスから石をいただいたのと。
 ルロクスはアウェルさんをぎりぎりまで引きつけた後、ひじと手首の力を上手く利かせ、アウェルさんの差し出した手をひっつかんだのだ。
 苦労させられたあまりに、怒りが一周したのかもしれない。同じ運命をたどれとばかりにルロクスはにかりと笑い、
「巻き添えだあっ! ――うんめい=I!」
「ちょ、はな――」人間、混乱すると、土壇場から避難するより同胞を探す輩もいるみたいで、アウェルさんがまさにそれだったと思う、「ア、アクアも来てよ!」
「は!?」
 引っ張られたアウェルさんは、射程内にいたアクアさんの袖を掴んだ。この時点で俺とルゼルとルロクスの身体は発光し始めていたので、俺とルゼルはつい動くことをためらってしまった。
「ア、アクアさんっ! アウェルさんっ!」
 累(るい)はとうとうマクトにも及ぶ。ただし、マクトの場合は自分から。光に引き込まれそうになる二人を助けるべく、傾いだアクアさんの左手首を掴んだ。
 その一瞬、そこから小さく乾いた音がして、アクアさんの顔がゆがみ、三人は俺たちと一緒に光の中へ――
「――い、行っちゃったわね」
「――また僕たち、置いてけぼり?」

 こうして俺とルゼル、ルロクス、そしてアクアさんたちのちょっとした冒険はやっと幕を降りた。
 かと思われた。
 というわけで、アクアさん、アウェルさん、マクトがこちらの世界にやってきて一番初めにやったことと言えば――
 アウェルさんが、グーは無いでしょグーはと涙目になって、容赦なき天誅を下された頭を両手でさすり――
 アクアさんが、湯気の出そうな右拳をほどきつつ、苦々しい顔で自分の左手首の骨のヒビをリカバリで治療し――
 マクトは、さっきの勇姿もどこへやら、手加減できなくてごめんなさいとひたすらアクアさんに謝ることだった。
 俺が見た限り、どれもがあらゆる意味で痛々しい。
 ルゼルも「あれれ……」とこぼしていたし、ルロクスは精一杯舌を突き出してるらしいあかんべーを決めていた。
 この騒がしい一日は、どうやらまだ終わりそうになかった。