<アスガルド 神の巫女>

第二幕

神の巫女 × 蒼紅裂帛
〜冥の断罪〜




第四話 密猟者


【どこにいても、僕を縛るのはいつだって――】 ルゼル


「――ったく、事態をますますややこしいことにしやがって……」
 ルケシオンから少し離れたところに位置するは、ルケシオンダンジョンという魔物のたまり場だ。もともと奥には海賊要塞も確認されていて迂闊に近づけないものだから、こうしてその付近に雑多な吹き溜まりができるのも、仕方がないと言えば仕方がない。
 アクアさんたち三人と僕−−−ルゼルとジルさんルロクス三人は入り口にて、いつもと違ってそうな魔物たちの気配動向をじっくりと伺う。僕たちはともかく、アウェルさんもここを覗くのは久々みたいで、今はどう言った様子なのかまでは察せないようだ。僕たちも決して入ったことはない、こともないけど、それはあくまで僕たちの世界の話である。こちらとしっかり合致するところまで責任は持てないし根拠を問えない。それに、アクアさんの仮説が正しければ、今や魔物はいい感じに興奮状態にあるわけだし……。
「だぁーって、ルロクスが飛びかかったりするもんだから……」
「それ以前に、オレらのものだったじゃんあれは!」
 まあ確かに発展者はアウェルさんだけど、そもそもの原因はルロクスだから、両者同時にまっとうなことを言えない僕がいた。
「……で、ルロクス、本当にこっちの方面に走っていったの?」
「ああ。すぐに追いかけようと思ったけど、何とか踏みとどまった。やばいのがうようよといそうだったしな〜」
「おっしゃるとおり、この中をつっこむのは骨が折れますね……」
 アクアさんは、どうやら癖らしい、左太股を指でトントンと叩く。
「言ってもらちがあかないからこのまま一気に突き進むぞ。俺が眼で追ってみる。お前らは魔物をうまくさばけ」
 大丈夫かなあ。
「マクトがその気になれば心配はいらんだろ。あとは魔力の残像がいつまで視えて、どれくらい早く追いつけるか、だな」
「……わざわざすみません、俺たちのために」
 あ、そうだったと思い、僕も慌ててジルさんに続いて謝った。
「他意はねえよ。正直さっさと帰ってもらいたいからな」
 その返事に不服そうなアウェルさんが口を尖らせてぼそりと、
「いつものアクアならさっさとおさらばすると思ったのに、随分と手を焼くじゃない?」
「学習しない奴だなお前も。後先を考えろっての。俺は正直こいつらがこっちの世界でのたれ死のうがどうなろうが知ったことではないが、万が一お前のわがままが原因でこいつらの異質の魔力が四方八方に拡散し、魔物たちが興奮し、それだけでなく世界に影響が出たらそれこそ個人のいざこざではすまないぞ。最初は気にならなくても、いずれはお前も罪悪感にさいなまれる様子が俺には楽勝で目に浮かぶ。今までの過去や盗賊という身分や矜持(きょうじ)すべてをひっぺがされて姿形も影もあられもないようにされ、地理に自信のあるお前でも知らないような山奥の小さな農村で一人羊と戯れて余生を過ごすがいいね」
 後半部分が早口だったので僕はあまり上手に聞き取れることは出来なかったけど、なにやらアウェルさんにとてつもない脅し文句をふっかけた気がする。案の定アウェルさんも黙りこくってしまっている。アクアさん相手に論陣を張るのはやめるべき、とこころの中で印を刻んでおく。
 どちらかというと被害者側である僕からもつい同情をかけたくなった。生きたヒキガエルを丸呑みしてしまったような顔のアウェルさんを見つめていると、アクアさんが僕のそばでそっとつぶやいた。
「喧嘩は泣かせたもん勝ち、口喧嘩は黙らせたもん勝ちだ。喧嘩の不文律。反撃の手口をつかめないほど適当で色々なおとりを張って、相手を混乱させればいいんだよ」
 い、いえ、僕にそんなこと言われても困ります……。
 ううん、アクアさんって優しいのかそうでないのかよく分からない。根はとても良い人そうなのに、無理して悪気を飾っている、そんな印象だ。アウェルさんもマクトさんも、この人について行くのは、その根の本質をつかめたからかもしれない。……いや、アウェルさんは単に本当にアクアさんの眼がほしい、とか……そ、そんな訳ないよね、うん。
 ぐずぐずしていてもどうにもならないことは把握していたので、僕たちは魔物をなるべく刺激しないようにルケシオンダンジョンへと足早に入っていった。以前も通ったところだし、いざ闘うとなれば何でもないことではあるけど、踏み込むにはやたらと度胸が要った。
 ダンジョンは、ごく小さな島が列をなして連結している。奥へ行けば行くほど要塞がせまり、強靱な魔物が存在したり、手入れのされてない木々が視界を段々と占めてくる。強さを求める者の中にはここにこもり、ずっと修行に明け暮れたりもするらしい。僕と初めて出会ったときのジルさんだってそうだった。けど、魔物よりもまず、この暑さに勝つことから始めないと話にならないのだろうな、と僕は思う。
 小さな島に魔物が密集していれば、まもなく出くわすのはもはや当たり前のことで、僕たちは懸命に闘い、更なる奥へと進んでいった。地上の魔物が出たときはジルさんやアクアさんたちが、空中の魔物が出たときは僕やルロクスが。アクアさんたちも僕たちも、先ほどとはさほど変わらない戦闘パターンだったが、一度だけアクアさんは変わった方法で魔物を撃退した。
 それは、フアやパワーマレックスなど、地上の敵や空中の敵が一斉に現れ出たときのことだった。
「こ、これだけの数を一気に相手すんのかよ」
「――アウェル、爆弾の型をよこせ、一個」
「? これでいい?」
 淡泊な命令の意味に理解ができないアウェルさんだったが、さすがにそろそろ申し訳ないと感じてきているのか、そこは何も言わずアクアさんに従った。
「ああ」
 アクアさんは爆弾を左手で持ち上げ、流し目を食らわせている。しばらく後、空っぽのはずの爆弾にふたをして、僕たちにマジックシェルをかけて魔法防御を上げた後、
「ジルコン」
 いきなりジルさんへ、にべもなしに右の平手を突き出した。チョキで返せばジルさんの勝ちだが、絶対ジャンケンではなさそうだし、かといってこの状況で握手を求めるのはおかしい。ジルさんもきっと僕と同じことを考えていたのか判断に困っている。
「何ボケっとしてるんだ、とっとと手を出せ。お前も右利きだろ? そっちで叩く回数が多かったからな」
 やはり握手らしい。ジルさんは慌てて右手を差しだし、アクアさんの手を握った。
「――やっぱりお前の方が力はあるな。じゃこれを空間的に奴らの中心部に思いっきり投げろ」
 爆弾を手渡した。それを受け取ったジルさんは、空っぽだと思っていたのか、いつの間にか存在する爆弾の重み――そもそも型に重みがあるだけかもしれないけれど――にちょっとだけ驚いた。
 この時点で僕も薄々分かってきて、あらかじめ魔法の構築をしていた。出会い頭からずっと無表情、もしくは何がよろしくないのかしかめ面だったアクアさんは、眉と顔の明度を上げ、意外そうな顔をした。うっかり触れば感電しそうなほど気苦労をため込んでそうな様子のアクアさんが見せた、初めての表情の揺らぎだった。アウェルさんも、ああそういうことね、とつぶやいていた。
「投げろ!」
 投げた。
「撃て!」
 撃った。
「ウィンドアロー!」
 アクアさんの魔力を込めた爆弾の内部に僕のウィンドアローが入り込み、両者相反し、乾いた音とともに勢いよく爆ぜた。
 アクアさんの魔力を込めた炸裂弾は広範囲に降り注がれる。空だろうと地上だろうとお構いなしだった。辺り一帯の魔物は避けることができず、次々と倒されていく。アクアさんのマジックシェルに守られていた僕たちは、身構えなくても一切ダメージを受けずにすんだ。
 そんな感じで、少しずつだけど歩調を乱さず僕たちは進入していく。そのたび、アクアさんは『魔力の残滓(ざんし)みたいなものが濃くなってきた』などと言うことをつぶやいていた。その分僕たちの期待は高まったが、それだけ進まねばという不安が後を曳いたのも確かだ。
「あ――?」
 左一帯に木々の群れ、右側一帯に海を据えつつ、海岸を歩いていたとき、アクアさんがぴたりと歩みを止めた。眉間そばの眉を微妙にゆがませ、ぼんやりと宙を見つめている。
「どうしたの?」
「二手に分かれた」
 僕はどういう意味かを考えていたら、ルロクスが先に、
「中身を分けたってことか? 六個ほどあったし」
「……いや、このまま進めば今にも消えそうなほど薄いが、」アクアさんは12時の方向を指さし、続けて9時の方をさして言うには、「こっちが濃い。多分別の――」
「あっ!」
 多分目がいいのかもしれない、アウェルさんとマクトさん、そしてジルさんが声をそろえ、アクアさんを追い抜かして正面側へと駆け出す。つられてルロクスも走り出した。四人の視線の先にあった、何やら赤い物体を僕とアクアさんは遠巻きに伺っていた。
「さっきあいつらが言っていたワイキサマーだろうな」
 案の定、アウェルさんの確信めいた高い声が、
「これ、やっぱり石とったワイキサマー!」
 ジルさんが、奇声を上げつつジタバタと暴れるワイキサマーをまさぐり、
「石が、ない――。アクアさんありません!」
「多分別のより強い奴に奪われたクチだなさては。しばらく所持してただけでこれだけ残像が残るのか。濃い方をたどればいずれは着く」
 僕は言われるがまま左へ首を巡らせた。押しあうようにして生えている南国植物の隙間、切り開かれたようにして一本道ができあがっている。奥に行けば島の中心部へ向かう。
 気づいた。
 何かが、ある。
 正確には埋まっていて、ほんのちょっぴりとだけ頭を出している。
 アクアさんに言われてなければきっと分からずに通りすぎていただろうほどだ。白く照っている砂の中、小さく、しかし一際強い光の反射が、僕の目に射し込んできた。
「じゃあ、あれが――」
 言うが早いか、僕は駆け出していた。アクアさんが叫んだような気がしたが、そのときの僕には聞こえていなかった。よくジルさんやルロクスに言われているのだけど、一つのことを考え始めると周りのことが一通り気にならなくなる性格のようだ。
 石よりもまず気づくべき、というより、察するべきだった。
 何かがとてもひそやかに、じらすように漂わせるさりげなさ。
 ワイキサマーが手放した石が、そのまま落ちているはずがないのだ。
 石の一つを拾い上げようとした僕の身体が下から上へと、影で一気に真っ黒になった。
 砂の中に潜んでいた魔物が、突如として現れたのだった。
「ドロイカンマジシャン――! お前らを石で引きつけ、二度うまい目にあおうって腹か!」
 アクアさんの言うとおり、なだれ落ちる砂のカーテンの隙間から見せる、この青々とした龍の立ち姿はドロイカンマジシャンだったように思う。それに、背から突き出すように生えている角を鞍(くら)に改造して上に乗っていた搭乗者は、石の残りが入っているらしい袋を手にしていた。
 僕はドロイカンマジシャンを目にした瞬間から、その場に落ちていた石一個をにぎったまま、足を地面に縫いつけられたかのようにその場に立ち尽くした。
「馬鹿、何やってるルゼル! 一人でかなう相手じゃない、さがれ!!」
 違う。
 僕は、ドロイカンマジシャンなんか、見ていない。
 まず、肌の色からしてまるっきり違うし、存在感なんか「あれ」と比べたら話にもならない。
 でも僕は、そのあまりにも酷似した姿に、何も考えられなくなってしまっていた。不意に全身が泡立つ。恐怖の増幅よりも記憶の去来に押しつぶされそうになる。そして、その場から一歩でも動いたら、自責の念と罪悪感と後悔に引き裂かれそうだった。
 アクアさんの更なる怒号と、ドロイカンマジシャンの口がうごめいたのと、僕が我に返るのは、ほぼ同時だったと思う。
 だが、口を開けて息を吐くのに対し、後ろへ退却するのは若干難を要する。ただでさえ不安定だった僕の直立体勢は、足をいったん後ろへ崩すことで、とうとう木っ端微塵に砕けたのだ。
 ドロイカンマジシャンが口腔(こうこう)へ秘めた青い吐息を僕に吹きつけようとしたとき、僕は背中を空へと預けてしまっていた。