<アスガルド 神の巫女>

第二幕

神の巫女 × 蒼紅裂帛
〜冥の断罪〜




第三話 証拠資料


【本質を見ろ先入観を捨てろ。決して見まがうな。間違ったらそこでアウトだ】 アクア


もちろんアクア本人も話の全てを咀嚼できたわけではない。
 ジルコンという修道士、ルゼル、ルロクスという魔術師がただの人間と分かっていれば、引き返してくるに値しない、どうでもいい人物だったのである。
 今回ばかりは違った。
 アクアの、俗に宝石のようだと言われる左眼は、他人の魔力の流れを読みとることのできる力がある。右眼はごく普通だが、左眼に視界の情報を通して網膜を焼き込み知覚すれば、そこにある魔力を視る≠アとができる。
 正体不明の現象に対し、『薄気味悪い眼のアクア』とレッテルを貼ってのけ者扱いするのは簡単だが、それだけでアクアの性格がこうも酷く落ちぶれるのも、どこか割り切れない感じでもの悲しいことではある。後々重要となってくるのは、他人がアクアをどう思うかではなく、アクアが自分をどう思うかなのだ。
 さて。
 問題は、アクアにはジルコンたちがどう視えたか。
 爆発するほどに放散させていたのでもなければ、視界が蜃気楼のようにゆがむ感じでもなかった。
 あたかも生きているように、密度のとても濃い魔力そのものに意思があるかのように、当人たちを緩く優しく取り巻き、ほのかに揺らめいていたのだった。ジルコンたちの全く意識していなさそうな顔からして、そう考えざるを得なかった。
 更に言えることは、魔術師だけあってか、ルゼルとルロクスの力はとりわけ面妖な雰囲気がして、こちらが肌で威圧されるほどだった。
 そして、ジルコンのそれは何故か、ルゼルの放つ不思議な魔力をおおらかに包み込むようにしており、お互いの均衡を程良く保っているかのように視えた。
 他人から疎ましく思われる自分が、初めて他人を薄気味悪く感じた。
 だから、三人に近づこうとしたアウェルを慌てて引き離した。
 この三人から、一刻も早く遠ざかりたい。
 ささやかな当惑は焦りへと変質し、アクアは歩みを再開した。
「が、そうもいかなかった」
 幹を力なくしならせる木の影のもと、アクアたち三人とジルコンたち三人はお互いのことについて話し合っていた。ジルコンたちの魔力について一から説明し納得させるのはどうにも面倒だったので、これまで自分が見てきたのとは違う特殊な魔力が視える、などの要点だけをアクアは伝えておいた。
「俺らはお前らから離れた後、魔物に襲われた」
 アクアはルロクスの袋を見つめ、
「多分その石のせいだ」
「これが関係あんのか?」
 アクアは小さくうなずき、
「その石からも俺には妙におかしな魔力が視える。眼が痛くなるくらいな。こんなものを持っていたから俺らはきっとやたら血の気の多い魔物と遭遇する羽目になったんだろう。ちょっとはおかしいと思わなかったか? こんな町の近くで、統率感のまるでない魔物どもがうようよと一気に現れたんだ」
「言われてみればそうですね。僕たちもいきなりの数にあくせくしましたから」
「そこで問題その二」
 アクアは斬り込むようにして言う。
「お前らがどうして俺にとって、魔物にとって変わった存在に視えるのか」
 自分と魔物を一緒くたにしても気にしないところがいかにもアクアらしい。独り言のように五人に問いかけたが、誰一人として発言を試みない。アクアはやれやれと考えておいた結論を早々に繰り出す。
「お前ら、この世界の人間じゃないだろ」
 まるで木の幹全体から冷たい重油がにじみ溢れ、ゆっくりと下へたまっていくような沈黙があった。場が静まりかえる中、さざ波の砂浜に打ち寄せる音だけがやけにうるさく聞こえる。遠い空の向こうで海鳥が鳴いている。強い陽射しが砂の粒一つ一つに食い込み、熱気のせいで生ぬるくて重い風が一度だけ吹き付けた。その風はその場の微妙な空気と一緒に逆巻き、どことも知れぬ虚空へ散り交(か)って舞う。
「――アクア。それ本気で言ってるの?」
 長く続いたその沈黙をついに破ったのはアウェルだ。突拍子もないオチに言い返すのもばかばかしいのか、あきれたようにつぶやく。
「ルロクスが石の中に刻まれた文字を読み上げたら突然光始めた、って言ったよな。そしていきなりここ、ルケシオンへ翔ばされた。俺らの世界で瞬間移動できる手段といったら――そう簡単に手に入れられるものではないが――ゲートとリンク、そしてそれらの魔法と、記憶の書という書物のせいぜい四つ。ただ綺麗なだけの石なんて前代未聞だ」
「……でもアクアさん、ジルコンさんたちはここをルケシオンだと言うことを知っています。身なりだって俺たちの世界のと同じに見えます。ということは、ジルコンさんたちの世界もマイソシア、ということになりますが……」
「そうよアクア。だとすれば一個に減らすしかないじゃない。やっぱりジルコンたちもここの世界で、魔力はたまたま変わった風に視える――」
「並行世界……」
 ルゼルがいきなり口を開けた。まるで自然と洩らしたようなつぶやき方だった。アクアはかすかに顎を引くようにしてうなずく。
「そのとおり」
 アウェルもそれを聞いて、うなるようにああ、と言った。
「噂話くらいなら聞いたことあるだろう。この世界が幾重にも存在するとか言う、信じがたい話だ。正直俺もこの説に逃げたくは無いが、そうも行くまい。その石が俺らの世界とこいつらの世界をつなげる代物だったら一応話の筋は通る。そして問題その三。その石が何なのか」
 アクアは口元を手で覆い、淡々と言葉をつなげていく。
「――多分それは古代のアイテムとか言うものじゃないか?」
「ええ、これがあ?」
 アウェルが苦い顔をする。というのも無理はなく、古代の、と枕詞のつくものすべての実態がその神秘性に伴うものではない。現実には実物を模した複製品であったり、魔力のまったく感じられない物質であったりするから、大して魅力を感じない輩のほうが割合としては遥かに多い。
 しかし、気の遠くなるような歳月をこうして生き抜いた代物なのだから、一見価値のなさそうなものにだって何かしらあるはずだとアクアは思う。あぶり出しと同じだ。使えなかったらまるっきり自分に関係ないと眼鏡をかけて感じるのも仕方ないのかもしれない。
「古代の遺産には様々な形で暗号が残されている。そのまま物質であったり、現代に引き継がれている魔法式だったりな。ゲートの技術も古代の移動魔法を応用、簡易化して作成されたものならまだうなずける方だろう? その宝石はそれらの段階の途中かあるいは副産物だろ。文字を読めば魔法式が展開され、発動する仕組みで。ゲートや記憶の石は媒体としては弱く、解放した途端すぐに消滅しちまうから、それらよりもまだ強固な宝石に古代の技術の本質を刻み込んだんだ。――が、紙をいきなり宝石に代えたため、今度は容量が思った以上に大きくなり、時間を重ね、本来の魔法式が変質してしまったというのならどうだ? 次元の分厚い壁だって常識とともに越えられるやもしれん」
 アクア独自の講釈に、ジルコンは他愛もなく小刻みにうなずいた。
「おい、あまり本気にするなよ。以上はあくまで俺の推測だ。こうして単純に結論付けた方がまだ苦労が少なくてすむと思っただけだ」
「――普通の綺麗な石に見えるけどなあ」
 ルロクスが一つを取り出し、天にかざすように眺めるが、木陰なので輝きはやや鈍い。石の奥、砂絵のようにじわりと文字が浮かび、それは先ほどのきぼう≠ナはなくて――
 途端にアウェルが、えさを待ちわびた犬のように身を乗り出し、石を間近で拝もうとする。反対にルロクスは、二度と盗られてたまるか、と石を袋に戻して身を引いたが、あっさりとまた盗られてしまった。腕は大して動かしていない。脇をしめたまま、ひじと手首の力を上手く利かせた早業だった。
「ああっ! やめろ返せ!!」
 今度はルロクスが食いかかるが、追いかけられるものの性(さが)かアウェルはすぐに立ち上がり、捕まえられるものならとばかりに笑いながら逃げ出した。土地は砂浜、相手は女とはいえ一端の盗賊ときたら勝負は見えていたが、それでもルロクスはめげずに追いかけだした。
 四人は小さくため息をついて、その追走逃走劇を遠く見つめる。特殊な魔力を持つだけでこうも危険だというのに頒布させるとどうなってしまうか、ということまでアウェルはあまり頭が回らない。どちらかというとわが身の安全へと天秤が傾くタイプのはずだが、よほどあの石が気に入ってしまったらしい。
「おそらくあいつはじゃんけんでとっさにグーを出すタイプだろうな」
「どうしてですか?」
 ルゼルが訊ねる。
「パーなんか出したら手に掴んだものが落ちてしまうからだよ」
「にしてもルゼルっていったか、よく並行世界を知っていたな」
「え? ああ、いえ、その。……実は僕たち、以前もこういった経験があるんですよ。ね、ジルさん?」
 ジルコンが、ああ、そうだったなと首を縦に振る。
「といいますと、前もここへ来たことが?」
 マクトの問いに、ルゼルはたおやかな髪をしならせるように首を振り、
「ん〜……どうなんでしょうか……まだ断定はできませんが、でも、以前の場所とはまたこう――なんと言えばいいでしょうか――空気、雰囲気は違ってるように思います。セルカの――あ、すみません。詳しく話せば長くなりますが、僕たちはセルカという女性のために、石を探す旅をしています。ルセルの隠れ家でその一つを探していたときに、一度」
「―――。よっぽどそっちの世界は不安定なのか、それとも未知なる力にあふれているのか……それよりルセルって誰だ」
「兄みたいなものです。幼い僕とセルカをかくまってくれた人です。色々なことを知ってますから、アクアさんと気が合うかもしれませんよ〜」
「わざわざそっちまで会ってみようという気がしない」
 あっさりと切って捨てた発言にルゼル苦く笑う。二人でごそごそと何やら難しい話でも弾ませるかもしれないのにな、と密かに期待していたのだが。
「まあ何かと事情は混みあってそうだが話はつかめてきた。ルセルとかいう奴に世話になりつつも、セルカのためにお前たちは石を探す旅をしている、と。で、たまたまあんな石が手に入った、と」
「――はい、大体そんなところです」
「で、そのセルカはどうしてるんだよ。寝たきりか行方不明か?」
「後者です。最初は行方不明でした。一度会うことはできました。ですが、その。本当に色々ありまして……。またどこかへ行ってしまいました。彼女のためにも、僕たちは特定の宝石を探しています」
 マクトがふと、
「宝石なら、アウェルさんが大好きなので色々集めてますよ。あの石をルロクスさんから盗ったり、アクアさんの眼を気に入ってこうしてついてくるぐらいですし。でも――」
「よく分かりましたはいどうぞ、とは渡さないだろうな」
 ルゼルは眉を上げ、
「あ、いえいえ〜。これは僕たちのことですから。アウェルさんの大事なものをいただこうとは決して」
「こっちの物がそっちで役立つと決まったわけじゃないしな……」
 マクトがまたもやふと、
「アクアさんと似てますね、ちょっと」
 その言葉に反応し、アクアは余計なことをとばかりにマクトを包丁のように鋭いしかめ面でにらみ、マクトはしまったとばかりに叱られた犬のように周章(しゅうしょう)と顔を伏せた。
「そ、そうなんですか?」
 ジルコンもその表情に若干気圧されたが、恐る恐るたずねた。アクアはじっと黙っていたが、やがておもむろに、
「ああ。俺も弟を捜して旅をしている。双子のな。もう5年近く会っていない」
「5年……長いですね……」
 アクアもつかの間だけ地面を見つめ、頭をかいた。そして少しばかり空気が消沈した後、いきなり、
「何をしでかした」
 またも斬り込むように、しかし地面を見つめたまま声を出した。ルゼルとジルコンが、不意な言葉の質量を超えてひどく驚いたのを、冷酷にも気配で掴みとった。頭を上げ、
「さっき彼女のためにも≠チて言ったな。まるでセルカをどうにかしないと後々大変なことになるといったニュアンスだ。早くそいつに追いつき、手を施したいという気持ちがありありと分かる。何がそいつの身におき、何をやらかしたんだ?」
「それは、その……」
 マクトとアクアの次はルゼルが視線をすっと伏せ、逡巡(しゅんじゅん)として言葉をあいまいに濁す。見つめるアクアは肩をすくめ、
「言いたくないならそれで良いがな」

 一方のアウェルとルロクス。暑い陽射しのもと、その熾烈な競争は繰り広げられていた。
「一度ならず二度までもお――っ! その石がないとオレたち帰れないんだぞ――――っ!!」
「まだそう決まったわけじゃないでしょーっ? せっかくなんだから私にももうちょっと見せてよーっ!」
 今まで空けたままにしておいた描写の穴をここで埋めておく。例の勘≠ニは、アウェルに言わせると、好みの石にとっさに身体が反応する、いわば選り好みの感知器だ。これで結構な宝石をかき集めてきた、とアウェルはことあるごとにアクアたちに威張って言う。
 アウェルは手の上で袋を躍らせながら随分楽しそうに走っている。アウェルがその石を持っていると、ルロクスがその身でうろつくと、何がどのように今後起きてしまうかすらまだ判明できていないというのに、二人はただ目先のもののためにひたすら走る。
 下ろしたままの長い髪に長い外衣に長い銃と、不利な条件がつきまとうがアウェルの走りは実に快調で、その気になればルロクスの一人や二人簡単に撒くことだってできる。が、あえてそうしないのも、自分の故郷で相手をしてもらい、こころのどこかでは嬉しいからかもしれない。
 ルロクスはルロクスで、運動に適さないローブで必死に追いかけるのもちょっとすごいが、もしかしたら勝負にならないのはとうに承知で、意地だけで走っているのかもしれない。
 が、その足の意地もそう長くは持たなかった。
「ああもうくそっ! フリーズブリード!」
 アウェルの左足元に突如として氷が立ち上り、ひざまで一気に絡みついた。体勢を崩し、蹴り上げていた右足を地面につかせると、そこにも氷が生えてきて、アウェルはあっという間に行動不能になった。
「え?、あ!、う、うわっと!?、」
「捕まえたあっ!!」
 背も年も明らかに少女のほうが上なのに、それらが一回り小さい少年が、少女の背中に飛びつくのも傍目にはなかなか奇妙な光景だが、二人はいたって真剣だった。痛いほどに暑い気温のせいか、氷はもろくも崩れ、ひじをついて倒れるアウェルの上にルロクスがのしかかる中途半端な体勢が出来上がった。
 そして、件(くだん)の石は、アウェルの手元から放たれ、やがて二人の進行方向へと落ちた。
 さらに、その半歩先には、赤い体毛を生やしたワイキサマーがいて、
「あ、」
「げ、」
 判断が数瞬遅かった。
 ワイキサマーはその石をすぐさま拾い上げ、奇声を上げながらその場を宙返りしてみせ、ルケシオンふもとにあるダンジョン奥へと行方をくらましてしまった。
「あ、あ――――――――っ!!」
 二人の甲高い叫び声は、青く澄んだ空に、たちまちのうちにむなしく吸い込まれていった。