<アスガルド 神の巫女>

第二幕

神の巫女 × 蒼紅裂帛
〜冥の断罪〜




第二話 大地の鳴動

【とにかく、二人のためにできることをする。それが俺の――】 ジルコン


アクア一行はずいぶんな魔物の数にため息を出したものの、戦力はこと足りていたので別段細かな注意もなく、全て掃討することに難なく成功した。
 ただ、一つ見落としがあり、足下からマイティキキが出現したことで、テルヴァが土くれを目に受けて負傷した。座り込んでじれったそうにまぶたをしばたたかせるテルヴァのそばで、元々スオミで薬屋の店員として働いていたカスィが、目薬を作ろうと器具をカチャカチャしている。
 そしてアクアは、何でもないように刀を杖に納め、すでに事切れたモンブリングの額に突き立てられているアウェルの投げナイフを見つめている。
「アウェル、ちょっと来い。――それとマクトもだ。カスィとテルヴァはそこで待ってろ」
「どうして?」
 答えもせずにアクアは先ほどのアウェルのように道を逆戻りする。今まで己の旅でわき道に逸れるようなことなどほとんど無かったアクアにしてはかなり珍しいことで、アウェルは考え込まずにはいられなかった。そもそもこうやってルケシオンに寄り道すること自体が異例のことなのだ。
 立ち止まっていると、マクトが「行きましょう」と促し、控えめな足取りでアクアの背中を追いかけ始める。この少年、背はアウェルと並ぶ程度だが、ヘアバンドで髪を後ろへ逆立てているから本当はもう少し小さいかもしれない。それに、お世辞にも肩はあまりしっかりしているとは言えないし、喉仏の発達してなさそうなまだ若干高い声と丁重な物腰、薄暗い灰色の目は、修道士としてはどこか不つり合いだとアウェルは思っている。
 並ぶようにして歩き始めるが、
「マクトもちょっとは疑いなよ。仲間にも手の内明かしてくれない感じで嫌じゃない? それじゃ腰巾着みたいに成り下がっちゃうよ」
「……すいません、俺、こういうことに意見するのが苦手でして。あのアクアさんの考えていることですから、何かあるんでしょう、きっと」
 このままだと、よほど無茶でない限り、この少年は上からの注文に逆らえないだろうな、とアウェルは思う。
 つい最近まで現にそうだったし、それに、とある理由――旅に同行を申し出たことも含め――マクトはアクアには逆らえない。

「あ、ジルさん後ろです!」
 ルゼルの声に反応した俺−−−ジルコンは振り向きざまにモスキャプテンに拳を見舞った。勢いで羽が二枚ほど飛び散り、モスキャプテンは制御を失って落ちる。続けて奴が召喚していた下級のガードモスも次々と打ち据えて撃退していった。
 これだけではない。安心してはいられない。というのも、俺とルゼルとルロクスは、ルケシオンに移動してきた後、もう少し細かな場所を知ろうとあたりをうろつき始めた途端、かなりの数の魔物に襲われたのだった。つい先ほどまでの現実だった、洗濯日和にうってつけののどかな気候に俺たちはひょっとまどろみ、弛緩(しかん)した気持ちを引き締めなおすのに、少しもたついてしまった。
 ここまで血の気の盛んな魔物を町の付近で相手するのは、俺の経験上ちょっと珍しかった。中にはもちろんルロクスの魔法一撃で倒せるようなのもいる。しかし逆に二人の魔法で援護してもらいつつ俺が挑まなければならないような敵もいた。
 前線で闘えるのは俺しかいないが、だからといってこうもたくさんの敵をこの身一つで受けて立つのはどうにも分が悪い。それに、一方からではなく、四方八方からバラバラにやってきたのだから、ルゼルとルロクスの二人を守ることにも神経を注がねばならなかった。二人ともいきなりの暑さに少し参っているようなので、無理なことはさせるべきではないと俺は思っているのだが――。
 いずれにせよ、旗色は決してよくない。環境と状況が背中に重くのしかかり、所々の悪条件だけが嫌に目立つ。
 退却の手もないこともないが、二人に砂浜を走らせるのは少し難がある。時間をかけてでも少しずつ確実に魔物を殲滅するしかない。
「っ?」
 急に世界が傾いた。腹の奥が一瞬だけしぼられるように冷たくなる。何事かと思うとどうやら砂浜の小さなくぼみに片足をつっこんでしまったらしく、俺の体勢はいとも簡単にぐらついた。
 ――くっ!
 俺の正面に立ちはだかっていた、陽射しで照り輝く巨体のナイトメアーが、隙ありとばかりにその黒々とした全身で襲撃してきた。脳よりもまず身体が原始的な恐怖を生みだし、顔面をかばおうとすると――
 突如盛大な爆音とオレンジ色の閃光がほとばしり、ナイトメアーの身体は逆光でさらに暗く塗りつぶされた。
 一度大きく痙攣したナイトメアーは、俺に身体を預けるような速度でゆっくりと前のめりに倒れた。
 その背中に、硝煙のにおいをたたえた煙がうっすらと立ち上っていて、さらに視界の向こうには先ほどの蒼い髪をした聖職者と、深緑色のかなり長い髪の盗賊、そして新たに、黒い髪の修道士もいた。
 どうやら、あの盗賊さんの投げた爆弾らしい。
 引き返してくる理由が分からないが、この状況で助けてくれたのはとにかくありがたかった。
 聖職者さんが修道士さんに何かをささやき、修道士さんはちょっとぐずついている。後押しされるように背中を叩かれ、無防備にも俺らの元へと駆け寄ってきた。
「……えっと、大丈夫ですか? 後は俺が追い払いますから、そこの魔術師の方を守ってあげてください」
 実際間近で見ると、俺よりもやや年下な感じの修道士さんだった。
「――ああ。でも俺も闘うよ。それより、あっちも聖職者さんと盗賊さんだけでいいの?」
 依然と魔物は多くいるし、あの二人と俺たちにはまだ大分の距離がある。あちらはあちらで闘うのかもしれないが、このままだと戦力の偏りが少しばかり不安だった。
 修道士はゆるくほほえみ、
「心配いりませんよ、きっと。あのお二人なら」

 全くその通りだった。
 この修道士の少年、マクトが俺と闘ってくれるおかげで、俺は精神的にも大分楽になり、ルゼルとルロクスに意識を向けることが可能になった。闘いに余裕が生まれたので、俺はその間、ついでにあの聖職者のアクエリアスさんと、盗賊のアウェルさんの様子をうかがったのだが――
 驚いたことに、聖職者であるはずのアクアさんも、アウェルさんと並んで、ほかの職業顔負けなくらい果敢に闘っている。杖として残っているのは頭からこぶし三つほどだけで、そこから先を刀として振り回しており、太陽の光で鮮やかに輝いているのがよく見えた。あれは護身用によくある、仕込み杖とかいう奴だろうか。でも、明らかにその範疇(はんちゅう)を超えた扱い方だ。剣戦士のような斬りつけ、薙払い、突き刺しのどれもが確実に決まっている。かと思うと、刀を地に突き刺してゴアーパンプキンに見事な払い腰(はら ごし)をかまし、そのカボチャの頭をブーツで踏み砕いたりもしていた。
 け、結構怖い人だなあ。面差(おもざ)しもそういえば鋭かったように思うし。
 俺の周りにはどうしてこうも好戦的な力を持った聖職者さんが多く集まるのだろう。ルセルさんといいアクアさんといい。
 アウェルさんも小回りの利きそうなダガーを縦横にふるったり、マント裏に隠し持ったナイフを投げたりと、盗賊らしい身のこなしで魔物と応戦していたし、そして何よりこのマクトがすごかった。
 年は16と、思った通り俺より一つ下で、さんづけで呼ぼうとしたら名前だけでいいと照れくさそうに訂正を求めてきた。ちょっと細作りだが俺よりも遙かに力がある。何しろ一撃一撃が目に見えるほど重々しく、魔物はまともに攻撃する間もなくあっけなくつぶれるのだ。本人は生まれつきだと苦笑するが、俺がまだまだ修行不足なのかと真剣に思い詰めるくらいだった。
 この三人はそれぞれ実にまばらな闘い方で、連携などがあまり見られなかったが、何というか、それもお互いを信頼しているからかもしれない、と俺は思う。百戦錬磨の「磨」にアクセントを置くのが響きとしては一番近い。きっといい仲間柄なのだろう。
 余裕ができたのは俺だけではないようで、ルゼルとルロクスも負けじとばかりに魔法を唱えて俺たちをサポートしてくれた。ルロクスのフリーズブリードは足止めにはもってこいだし、ルゼルのアイススパイラルやハリケーンバインは手堅く決まる。ひるんだ隙に俺がとどめを刺すというのは、近頃の俺たちの中では黄金の戦法だった。
 終局は近かった。

 予想通り、アクアさんたちが加わってくれたおかげで魔物たちは全て倒すことができた。もう襲ってくるようなものの気配は、とりあえずない。
 俺が代表して改めて三人にお礼を言おうとした。
「どうも助けていただいてありが――」
「マクト」
 突然アクアさんが、まるで射抜くように俺をまっすぐ見つめながら、しかしマクトを呼んだ。
「は、はい」
 そして次に言った言葉はなんと、
「アウェルを羽交い締めにしろ」
「な」
「え」
 俺もつられて何か一言漏らしたような気がする。マクトはちょっと困惑するも、「えっと、ごめんなさい」と謝りつつ、アウェルさんが逃げ出すよりも迅速に背後から締めあげた。仲間に手をあげているため、実に不可解そうな表情のマクトだったが、やはり力は本物である。
「ちょ、ちょっとアクア! 何のまね――」
 アウェルさんもアウェルさんで、説明無用とばかりの暴挙に納得のいかない面もちで足をばたつかせようとしたが、アクアさんは俺からやっと目を離してアウェルさんの方を振り返り、そして左側の前髪をたくしあげる動作をした。
 そこには、人の眼とは明らかに違う、まるで宝石の方に輝く左眼があった。
 例えるのならサファイアが一番近いかもしれないが、それよりすらも生気を微塵に感じさせない、刃物のように鋭利な煌きがあった。畏怖するほどの存在感に、俺たちは胃をすくませて息をのんだ。アウェルさんもマクトも、その目つきに一瞬身体をこわばらせたのを、俺ははっきりと確認した。
 アクアさんは身動きのとれないアウェルさんにじみより、いきなりアウェルさんの後ろ腰に手を突っ込んだ。長くて白い外衣に隠れて見えなかったが、どうやらそこにあるものをつかんだらしい。小さな袋をひったくったのだ。
「あ、ちょっと、それは!」
 それはまさに、ルロクスがもらった袋だったように思う。アクアさんはその中をちらりとのぞき、なぜだか少し顔をしかませた。そこにあったものの一つまみを取り出し、俺たちの眼前に突きつける。
「お前らこの石に見覚えはあるか?」
「あー! やっぱりそれオレが持ってた石じゃん!」
 ルロクスが声を上げ、アクアさんからすぐさまそれを受け取る。
「うん、間違いないって!」
 続けてルゼルも中身を見て、
「――本当だ。どうもありがとうございます」
「いや、礼には及ばない。むしろこっちのバカが迷惑かけた」
 仲間のはずなのによくそんなことが言えるなあと思っていたらやはり、
「かよわい女の子を羽交い締めにした上バカって何!? マクトも早くはなしてよっ」
 うわ、あ、暴れないでください変な力入りますので、とマクトのか細い声、アクアさんは容赦なく続けて、
「結果論だがバカに違いはない。お前がこんなもん盗らなきゃ俺たちも闘わずにすんだんだよ」
「そうだよっ、もともとオレがもらった奴なんだぞそれっ。よく分かんねぇけど、オレが石の文字を読んだらいきなり光が――」
「おいちょっとまて何て言った」
 場の空気をさらに重く沈めるような低い声だった。怒られてるような気がしたのか、ついルロクスも口をつぐんでしまう。
 アクアさんは一呼吸おいて、質問を変えた。
「お前ら何者だ? ――どこから来た?」