ごくわずかな時間を要したが、男修道士が一番先に目を覚ました。盗賊少女アウェルはしゃがみこみながらその様子を見澄ましつつ、しかし勘に従って、そばに転がっている袋と小物に左手を伸ばして後ろ腰にまわしていた。男も目を開けた後、すぐさまアウェルの影がかった顔に焦点を合わせてきた。あ、やっぱり生きてた、とアウェルはとりあえず思った。 旅をする聖職者の少年アクエリアス――みなは親しみも含め軽々しくアクアと呼んでいる――たちとともに、ルケシオンを出ようとしたときのことだった。何者かが唐突に背後に現れた気配がしたので、アウェルはふと振り返った。しかし普段から無愛想なアクアはこのときもそっ気なしで、注意を払うどころかまるで気づいていない態度でそのままざくざくと歩みを止めなかった。なので、好奇心と例の勘≠こらえきれないアウェルだけが今来た道を戻ったのだった。それの横道離れた場所でこの三人を発見した。 誰だろう、と思うよりもむしろ、何だろう、という気持ちの方が未だに大きいことを白状する。 というのも、あたかも空から墜ちてきたように、この三人のあたりにはまるっきり足跡が残っていないのだ。羽の生えた天使でもない限りこんな芸当は不可能だ。 しかし、やはりどうみても人間である。まさかコウノトリが重量に耐えかねて落っことしたわけでもあるまい。とすると多分、ゲートとかリンクとかいうものでやってきたのかもしれない。とはいえ、このご時世にそんなものは易々とは手に入らないし、そもそもアウェルはどちらかというと自分の足を信じるタイプなので、そういうものの仕組みはあまり理解してない。が、力つきて行き倒れた遭難者よろしく無尽蔵に横になっている三人のさまを見て、ひとまずそう感じた。男の魔術師二人、そして一人はこの男修道士。この修道士だけが仰向けだったので、アウェルはその修道士の面を影で覆いながら何の警戒心もなく見つめていたのだった。 ここでようやっと、向こうもこちらの値踏みするような視線に気づいて頭に血が通ったのか、わずかに狼狽して見せた。その反応にあわせてアウェルも瞬きを一回。 髪は銀色で、活気みなぎるように赤い布を首に巻いた、歳の近そうな男だ。それなりに上質な造りの服を着こなしているのに、こうやって目の色を伺う限りでは、どうも育ちがよすぎるのが見て取れるというか、およそ修道士には見がたいというか、仲間の修道士であるマクト同様ちょっと頼りなさそう、というのがアウェルの第一印象だった。 あまねく動物の中でも、とりわけ人間には人相という漠然とした指標が備わってある。どのような歴戦を繰り広げてきたか、どのような見聞をためてきたかによって、その雰囲気の良し悪しは左右される。これには見分ける側にも長年の熟練が要されるし、自分も長けていると胸を張れることは無い。が、まあ一目では前述のとおり一応害のなさそうな人に見える。万が一ハズレだったとしても体勢の違いで勝てる。 二人がお互いの顔を認識してから一秒がたった。 「うおあっ!?」 修道士はついに驚愕の声を上げ、上半身を飛び起こし、しかし腰を落としたまま後ろへと退いた。そして、 「うおあっ!?」 自分の片腕で、後方にいた魔術師の小さい方の背中を踏んづけてまた情けなく驚いた。 何もそんなに、とアウェルは思う。 「大丈夫? まだぼーっとしてるみたいだけど。1から30までにある素数言える?」 アウェルは顔を上げたついでに首を振るい、髪を整えて言った。 「――え、あ、はい。大丈夫です。――ルゼル、ルロクスッ、起きてくれ!」 どうも様子がおかしい。ゲートやらで翔んできたにしては、事態を呑み込めるほど気持ちの整理が出来ていないように思える。修道士が二人の魔術師を起こそうとしている間に、アウェルはいただいた袋にいただいた小物を入れ戻して、そっとベルトに取り付けた。 「うん……、あれ、ここは……」修道士と同い年くらいで、紫色の髪と瞳をしたちょっと線の細そうな魔術師。 「あっちぃ……、何だこのにおい……?」二人よりも大分幼い、黒目黒髪の魔術師。 アウェルは腰を上げ、どちらにしようかとちょっと迷った後、紫の髪をしている側――中性的でか細い雰囲気を持った――を選んで右手をさしのべようとしたら、 「待てアウェル」 むしろ左手首を背後からアクアに引っ張られた。何だ結局戻ってきてるじゃん、と思ってアウェルはアクアの顔を見た。 そのアクアの表情が、異様な気色にまみれていた。 若干長くした左前髪の隙間からでも、左眼がぎらりと輝いているのがよく見える。その視線の先はかの三人組にあり、自分と同様、人を見る目つきとはまたかなり異なっていた。アウェルとしては初めて目にする、驚愕の目つきだったのかもしれない。 「アクア? 何か視えるの?」 アクアは独り言をつぶやくように、 「抑え込んでいる……いや、喰ってる、のか……?」 「え?」 ようやく落ち着きを取り戻しつつある男修道士も、アクアの存在に気づく。服にこびりついた砂埃を入念に取り払った後、アクアとアウェルに物申してきた。 「――あの、すいません、ちょっとお聞きしますが――ここってルケシオンですか?」 アウェルは、そうと答えようとするも、それよりも遙かに素早くアクアに三人組から引き離された。無理な方向からだったため、アウェルはぶつくさ文句を言いながら腕のひねりを正そうとする。 あいつらにはかからわない方がいい、という力がその手にしっかりと込められていた。 そしてその手が、若干だが、汗で湿っていたことにも気づいた。
「――ジルさん、じゃあやはりここはルケシオンなのでしょうか?」 取り残された三人のうち、発言を慎んでいたルゼルが物怖じしながらジルコンに訪ねる。 「だと、俺は思うが……」 憶えている。忘れるはずもない。ルケシオンダンジョン奥の海賊要塞で修行していた頃の、あの暑さ。この前もルゼル、ルロクスとともに来たばかりである。それに、海が漂わせるどこか甘い潮のにおい、柔らかくて心地よい砂浜、浴びせるような灼熱の太陽の照り―― 「間違いなく、ルケシオンだ」 姿形は、とジルコンはこころの中で付け加える。 「やっぱかあ〜。また暑いところに逆戻りかよ〜」 よほどこの熱気に懲りたらしい、ルロクスがかなり間延びした言い方で、蒼髪の聖職者と、深緑の長い髪をした盗賊の小さな後ろ姿を見つめていた。 「どうしたのルロクス?」ルゼルが言った。 「ああ、うん、」ルロクスはそこでちょっと言葉を探したあげく、「あの聖職者と盗賊の人、二人だけで旅しているのかなあ、って」 「――別におかしくはないぞ」 「だよなあ。でも戦力的に……いや、違う」 一人なにがじれったいのか、ルロクスは頭をかいた。 「何でオレたちのこと、見てたんだろ?」 ジルコンとルゼルは顔を見合わせ、「そりゃあ、人がいきなり現れたら誰だって注意は引かれるって」「そうそう、僕がウィザードゲートを使って、周囲の人を驚かせることもたまにあるでしょ?」 そこで三人はついに原点に戻った。それぞれの目の色を伺いあいながら、 「そもそも――」 「どうして僕たち――」 「ルケシオンに来ちゃったんだ――?」 記憶の欠落をつなぎ止めてくれる、あるべきもの、がないという虚無感。 ルロクスが抱いていたのはそれだったのかもしれない。すぐさまに自分の足下を探り始め、掘り返さんばかりの勢いで手持ちもあさり、やがてはもはや陽炎のように消え失せた二人の後ろ姿を呆然と眺めた。 ジルコンも悟り、ルロクスにならった。 首をかしげるルゼルに、もしくは自分自身にその事実を言い聞かせるように、ルロクスはポツリと、 「あの綺麗な石……盗られた、かも」
「アウェル」 アウェルを連れ戻し、やっと仲間と合流したアクアが唐突に名を呼んだ。 「なに」 「一つ、いや最終的には三つの質問をするかもしれないが」 「なによ」 「どうしてこうなったかこころ当たりはあるか」 「ない」即答。 「じゃあ内容を変えるぞ。自分に違和感は持ってないか」 「ない」またも即答。 「なら最後だ」 アクアは水色の杖から刀を抜き出し、続けて追いすがるようにアウェルは右すねの側面にある鞘からダガーを逆手で、そして黒髪の修道士マクトは初めから腕に闘気をこめていた。後れをとったが、察知した緋髪の魔術師カスィもすぐにオーブを取り出し、金髪の吟遊詩人テルヴァはあたりをきょろきょろし、四人の構えにようやく意味をつかみとった。背中合わせでいびつな円陣をつくる。 じわじわと何者かが近づいてくることは何となしには感じていたが、囲んでくるほどの数だとはアウェルは思わなかった。 「あいつらから何を盗りやがった」 「ん?」アウェルはさも嬉しそうに笑みを作り、「きっれ〜い不思議な宝石っ」アクアの小さな舌打ち。 アクアたちの周囲を、相当な数の魔物たちが取り巻いていた。駆け出しの冒険者でも倒せるものから、少しやっかいなものまで揃っている。これほどの敵意のある魔物に出くわすのは久しぶりのことだった。 「種族がばらばらだな。町に近いこの地点でこうもいびつに出迎えてくるか? 普通」 「深く考えすぎじゃない?」 「――気に入らないんだよ」 ぶっきらぼうに言い捨ててアクアは仕込み杖を両手に構える。 「むこうにも頭はあるんだ。普通こういうことはあり得ない。俺はそこが気に入らない」
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