<アスガルド 神の巫女>

第二幕

第五章 サラセンの町の事件簿



第九話 ゆれる気持ち



「鍛冶場って暑いんだな〜」
ルロクスがそう言いながら眉を歪ませるものだから、僕―――ルゼルはうんうんと首を縦に振りながら苦笑いを浮かべた。
ジルさんのお父さんが鍛冶職人ということで、僕とルロクスは一緒に仕事場を見学しに行ったんだけど、その仕事場の暑さはすさまじいものだったのだ。
考えてみれば炎を使って鉄やらなんらを鍛えあげるんだから、暑いのは当然なんだけど、実際に見てみたり体験したりしないとわからないんだなぁ…
僕はぼんやりとそう思いながら自分の襟元をぱたぱたと動かし、体に風を取り込んでいた。
ルロクスも同じように手をうちわがわりにしてぱたぱたと扇いでいる。
「でもあんな強そうなもんが、カーンカーンってやったら伸びて、剣になったり盾になったり。
面白かったなぁ」
見てるだけで実際に何かやったわけではなかったけど、ルロクスは見ているだけでも楽しかったみたいで、未だに嬉しそうにしている。
「丁度お昼だし、お師匠さん家に戻ろうか?」
「だな。なんにもしてねーけど腹減った〜」
男の子だからいっぱい食べるし、すぐお腹が空いちゃうんだろうなぁ。
僕ひとりで旅をしてたときはあまりこまめに食事をしてなかったような…
現に今もそれほど空いていないような…
「…ルゼル、ちゃんと昼御飯、食べなきゃダメだぜ?」
時々、食べれないからとお昼は少しだけにしたり食べなかったりしようものなら、ジルさんとルロクスの二人に怒られるようになってしまった。
特にルロクスが怒るもんだから…
「わ、わかってるよぅ」
僕はたじたじしながら答えるとルロクスは『それならいいんだ』と満足そうに言った。
「ルゼルってご飯の話になったとき、腹がしっかり空いてない日だと、
自分の腹を触るクセがあるからわかりやすいんだよな〜」
…。
自分でも気付いてなかったクセを指摘されて、僕は一瞬固まってしまった。…そうだったんだ…だからいつも絶妙な突っ込みが飛んでくるんだね…
以後気をつけよう…
僕は密かにそう心に決めると、今も食べなきゃダメだと念を押すルロクスの話に頷いておいた。


僕とルロクスが家に着いた時には、ジルさんのお師匠のトリスさんが台所に立って、お昼ご飯の準備をしていた。
「あ、ジルコンとコルノを呼んできてくれる?」
「いいですよ」
「了解〜、でもジルコンはどこにいるんだ?」
ルロクスの問いに、トリスさんは道場にいるからと告げる。
僕達は言われた通り、道場に向かって歩いた。
「手合わせ…だっけ?二人でなんか特訓でもやってるのかな?」
ルロクスの問いに僕はこくりと頷いてみせる。
「多分そうだね。
僕らでは練習相手には向かないだろうし、同じ職業の人とやるのが一番なんだろうから」
ジルさんはこんなにも僕の力になってくれてるのに、僕は修行相手にもなれないわけで。
職の違いとはいえ、少しだけ申し訳ない気持ちになる。
そんなことを思いながら歩いていると、ルロクスがすたすたと小走りに先へいき、道場の扉を音が鳴らないように気を付けながら開けた。
そして少しだけ開いた扉からキョロキョロと中を覗き見る。
僕も後から続いてルロクスと同じように道場の中を覗き見た。
「あ。いたいたジルコン」
ルロクスが指差した先にジルさんはいた。
ジルさんの横にはコルノさんがいた。鍛練の後だったんだろう、二人とも汗をかいているようで、ジルさんは手で汗を拭う仕草をしていた。
一度、にこやかに笑い合ってから、コルノさんがゆっくりと寄り、タオルを手渡している。
何故か僕の胸が少しだけきゅっと縮まったような気がした。
「ジルコン〜!ただいま〜!」
ルロクスが元気よく声をかけているというのに、僕の今さっき感じた気持ちが気になって、声をかけることができなかった。
なんだったんだろう…?
ルロクスの明るい声に気が付いたらしいジルさんが、こちらを向いて笑いかける。
…ほら、こんな優しい笑顔を見せてくれているのに、反応を返せないなんて失礼じゃないかっ。
そう思っているのに、どうしても胸が苦しくて。
…どうしたんだろう僕…
ルロクスが『お疲れ〜!』と笑いかけながら言うと、ジルさんは苦笑いで何か言っている。
僕はその場でずっとその光景を見ているだけだった。
「…?ルゼル、どうかしたのか?」
僕がなにも言わないことに気付いて、ルロクスが不思議そうに僕を見る。
「ルロクス、お前、ルゼルを無理に連れまわしたな?」
ジルさんも駆け寄って来る。
そして僕の手をぎゅっと握ってくれた。
ジルさんがよくやる“体温の測り方”だ。
手が冷たいと暖かくしなきゃと慌ててくれたり、変に熱をもっているようだとジルさんが判断すれば、すぐに宿を取るように促してくれる。
「熱は無さそうだけど…ルゼル、ちょっといいか?」
言って今度は僕の額に手を当てる。
「あの…大丈夫ですから」
「とか言って、ルゼルは無理してること多いしぃ〜?
ルゼルの大丈夫は信じらんないんだよなぁ〜」
やっと声が出るようになった僕の言葉を信じやしないと、ルロクスが苦笑い気味に言い、僕の手をさっと掴む。
そしてそのままどこかへ連れていこうと手を引っ張る。
「ジルコン〜、オレ、飯の前にルゼルを寝かしつけてくるな〜」
「ぼ、僕は子供じゃないんだけど」
ルロクスの言い方に僕は思わずそう突っ込みながら笑ってしまった。
『心配させるんだから同じ〜』と嫌味なく、本当に楽しそうに言うから、僕は大人しくルロクスに引っ張られることにした。
「しっかり寝かしつけてこいよ〜?」
「りょ〜かい〜」
ルロクスと軽く言い合っているジルさんを見て、軽く会釈をする僕。
さっきの不思議な気持ちがなんなのかよく分からないけど、もしかしたら体を休めなきゃいけないっていう、体からの危険信号だったのかもしれない。
ルロクスに手を引かれながら僕は用意してもらった僕の部屋へと連れていかれたのだった。


「ルロクス、聞いていい?」
「ん?」
子供を寝かし付けるときのように、ルロクスはぽん…ぽんとゆっくりリズムをとって、布団の上から僕の体を叩いている。叩く力が優しくって心地良い。ご飯もベッドの上でだなんて本当に病気の人みたいだったけど、食べたこともあってとっても目を瞑っておきたい気分。そのまま訪れる眠りに委ねたい気持ちになりながら、僕は少しだけ疑問に思ったことをルロクスに尋ねた。
「ちゃんと夜になる前に起こしてくれるの?」
「明日には起こすけど?」
やっぱり思った通りだった。
「あのさ…僕も一緒に犯人捕まえたいんだけど」
「病人は病人らしく寝てなさい!ってね」
「だから僕、今病気になってる訳じゃ…」
「今さっき調子悪そうだったじゃん。だから病人なんだよ。」
「ん、もぅ…」
僕は諦め気味にため息をついた。このままだとルロクスは本当に僕を明日まで寝かし付ける気だ。
病気がちって訳じゃないと自分では思ってるし、ついさっきの変な感じはもうなくなってるから大丈夫だと思うから、怪盗を捕まえるための見張りは参加できるはずだ。
どうしようかなぁ…夜までずっとルロクスが僕の見張りをしてるってことだし、夜、起きてもまた寝かし付けられるって…−−−−ん?
「そうだよね。僕が時間通りに起きればいいんだ。」
「起きたら寝かし付けるぜ?」
へへんと得意そうに顔をほころばせるルロクス。
僕もにっこりと笑ってこう言った。
「じゃあルロクスも一緒に今日は留守番なんだね」
「え?………あ…」
そう、僕が寝てる間に自分は出発しようとか思ってたんだろうけど、出かけようとする時に起きていればルロクスも行けなくなる、または行くのが遅くなる。
僕のその指摘に頭を押さえながら嫌そうにこう言った。
「ルゼルはほんとに無理するの好きなんだな…」
「無理してはいないよ?ルロクスが心配性なだけじゃないかなぁ?」
「ったく、ウソがバレバレだってぇの…」
『あぁもう』と言いながらルロクスが嘆いているのを見て、思わず笑う僕。
「じゃあ、せめて夜になるまで寝てるように、しっかり見張っててやるからな!」
「あんまり見張られてたら眠りにくいけどね」
僕の言葉に聞く耳なしとばかりに布団をバンバンと叩く。
「わかったわかったよっ」
僕は大人しく目を瞑って見せると、ルロクスの『よしっ』という満足そうな声が聞こえた。