<アスガルド 神の巫女>

裏側の時間軸 編



ふたつめの物語 天狼星


この物語はジルコンがルゼルに会うより前。
いや、もっともっと前・・・セルカがいなくなるなんて思っても見なかったときのことだ・・・。


深い森の中、空を見上げて、少女はふぅっと息をついた。
空には満天に輝く星たち。
その下に彼女が一人佇んでいた。
外は夜風が気持ちいい。
自分の職業である聖職者の服を身にまとって、彼女は空をただじっと見上げていた。
「ルゼは今さっき、寝たよ」
不意にかけられた声に彼女は振り向く。
そこにいたのは聖職者の服を着た青年だった。
彼女と同じく、袖の無い、白を主体とした服を着ているその青年は、悪戯っぽい笑みを浮かべると
彼女に向かって言った。
「さっきまでおまえの姿が見えないとか言って、泣きべそかいてたぞ?
いいのか?セルカおねえちゃん?」
茶化した物言いに不機嫌になることも無く、彼女−−−セルカはくすりと笑った。
「いいのよ。ルゼも一人で寝るようにならなきゃね。」
『いつまでも一緒に居られるわけじゃないし…』と呟く。
セルカの瞳は、まるで風に揺れて木の葉を落とす木々のように、とても悲しそうに揺れていた。
自分とルゼは追われている身である。
だが今まで人と出会う事が少ない環境下で育ったルゼ。
セルカがただ一人の親友で姉代わりで…すがる人はセルカしかいないとルゼは思っている。
もちろんその考えは間違ってはいない。
追っ手に見付かった時、この場所に何らかの被害があってはならないとセルカは思っている。
誰にも迷惑をかけたくは無いというのがセルカの本音だった。
でも、二人だけじゃ生きていけない。だからこの場所に住まわせてもらっている。
この青年が住む家に。
ルセルをはたと見据えたセルカは、憂いの瞳を浮かべてこう言った。
「ごめんなさい…ルセル」
「……いきなり何言うんだと思えば…」
青年−−−ルセルは眉をひそめ、それでも言葉の真意を汲み取ったルセルは、少し怒ったような口調で答えた。
セルカもそれがわかったのだろう。もう一度だけ、しっかりとルセルの顔を見つめて『ごめんね』と言った。
ルセルはそんなセルカから顔を背けて、照れくさそうにしながら乱暴に自分の頭を掻く。
「おれは、お前達がどうして追われてるのか知らないけどさ、申し訳ないような顔しないでいいんだからな?
セルカはセルカらしく。
今を生きろよ?」
「今、ねぇ…」
セルカはふふふっと笑って再び星空を見上げた。
ポツリと一言、
「過保護かしら」
「やっと気づいたか、親ばか、いや、姉バカか。」
言ったその言葉にすかさずルセルが反応を返す。
“セルカはルゼを主体に動いてばかりいる”のだと、そうルセルは言いたいんだろう。
茶化したルセルのその言い方にセルカが堪え切れず、笑い出した。
ルセルが言うことはセルカ自身でも自覚をしている。怒るわけがなかった。
「カルガモみたいにべたべたくっついてるルゼ見てると、
セルカとルゼが同い年なんて信じられないね」
「今まで私は外部と接触はあったけど、ルゼの方は全くと言っていいほど無かったから…そのせいよ」
セルカの物言いに気づいたルセルが、思わず突っ込んで話を聞こうとする。
「…ルゼは閉じ込められてたのか?」
「…さぁ?どうなんでしょうねぇ〜」
「ちぇっ、またはぐらかしかよ」
言うわけにはいかないと曖昧にはぐらかし、セルカはにこっと笑う。
この表情を見せたセルカに何を言っても、聞き出すことは出来ない。
今まで二人のことを聞き出そうと散々やってきたルセルには、そういった引き際も心得てしまっていた。
いいのか悪いのか、無理やりセルカから聞き出すことも出来るはずの立場なのに、ルセルはそれが出来ずにいたのだ。
「あ〜あ、ルゼはおれとまともに話しようとしないし〜セルカはにっこりだんまりだし〜」
近くにあった石に腰掛けると、セルカと同じように星空を見上げた。
「いつもルゼをいじめてるからでしょう?
初めはルゼ、友達が出来たと思って嬉しそうだったのに、ルセル、あなたが辛く当たるからよ?」
「いじめてねぇよ。かまいたくなるだけ。」
「そのちょっかいのかけ方が、たち悪いのよ…」
見上げたまま目を閉じ、ため息をつく。
ルセルはセルカとではそんな意地の悪いこと言うことも無いのに、相手がルゼとなると、いじめて、からかって、最後にはルゼが泣いてセルカの元に行くという流れになってしまっていた。
ルゼの性格がひねくれてしまわないかしら…と一抹の不安がよぎるセルカをよそに、ルセルはけらけらと笑う。
「まったく…ルゼを気に入ってくれてるなら、意地悪しなければいいのに…」
「それがおれの性格なのっ。」
「…ほんっとにルセルって子供なんだから…」
あまりのルセルの言い分に、思わずセルカがそう呟いた。
ルセルがぷうっと顔を膨らます。
「なんだよ、お前ら二人より2歳も年上のおれに“子供”はねぇだろ」
「何言ってるの。2歳も年下のルゼをいじめてるのよ?子供じゃないの〜」
言ってセルカが笑う。
「二人が仲良くしてくれればいいのに」
「ルゼが俺の性格を理解したら、仲良くなれると思うぜ〜」
「そんなこと言って…とことん嫌われたらどうするのよ…」
「ん…?ん〜そうなったらその時。」
「まったく…」
セルカの視線がルセルへと向く。困ったような微笑んでるような、そんな曖昧な笑みを浮かべてルセルに言う。
「今度からルゼをいじめないであげて?かけるのなら、優しい言葉をかけてあげて欲しいの」
「…まぁ、覚えとく」
「あら…ルセルが折れてくれるなんて、大きな進歩かもね」
「おれを何だと思ってるんだか…」
笑うセルカの横でルセルが少しばつの悪そうな顔をしながら、それでも意地を張って胸をそらし、
「おれはね、寛容なの!この空みたいにひろ〜く、大きな心をもってるんだよ。」
「そのわりにはルゼをいじめてるわよね…
まるで見えないくらいに小さなち〜さな星みたいに
ちくちくちくちくちくちくと。」
指摘されたルセルは、またもやぷうっと顔を膨らませる。
「でも…さ」
不意にルセルは満天に輝く星たちに目をやると、憂いの表情を見せた。
「心は広くっても、おれたちの存在は星と同じなのかもな」
そう、呟く。
「小さく光るヤツや赤く光ってるヤツとか、青い星とか、白い星とか…
性格は様々で、どれが同じかなんて言えない。そんなものなのかもな」
ルセルは石に座ったまま、空を見上げている。
セルカもルセルの横に座ると同じように見上げ、小さく『そうかもね』と呟いた。
辺りはしぃんと夜の空気が包み、二人の体を撫でる風はそのまま木々の間をすり抜けて消えていく。
「星で例えると…ルゼにはあそこにあるとっても白く輝いている星になって欲しいわ。
明るく、それでいてしっかりとした…そんな人に」
今一番明るく輝いている星を見つけて、セルカは空を指差し、言った。するとルセルは眉をひそめながら即座に言い返す。
「だめだよ、あの星は」
『えっ?』とセルカが戸惑いの声をあげる。
「あの星のように白く輝く星は、やがて死んでいく星だって書かれてた。」
「書かれてた?」
「あぁ。古代メンタルロニアの文字を解読してね。
あ〜…まぁ…あまり口に出すと、上から何されるかわからないから言えないんだけどな。」
「上??…ルセル…?」
「この話は止めよう。とにかく白い星はダメなんだ。」
納得のいかない顔で、ルセルの顔を見やるセルカ。
その雰囲気に居辛くなったルセルは、解読した時に得た知識をひとつだけセルカに教えてやることにした。
それは空の中で一番輝く星の話だった。
「全天で最も明るく輝く星にな、シリウスっていう星があるんだ。
狼の目みたいに青白く輝くことから、昔の人はその星を天の狼の星と書いて天狼星と呼んでいたらしい。」
「空の狼さんかぁ…昔の人は星にそんな名前つけてたのね」
「まぁ、そういうことを考えるとだ。
ルゼが狼のように野性的になったら、ヤだろ?」
「…ヤだ…」
セルカがげんなりとした顔を見せる。
ルゼがばっしばっしと敵をなぎ倒して不敵の笑みを見せてるところを想像してしまったのだ。
そのげんなりしたセルカの顔を見て、ルセルがけらけらと笑う。
「狼じゃなくって…鳥になって欲しい…かな」
「鳥だったら今度は突然、どこか行っちゃうぞ?」
「う〜っ」
「だから、ルゼはルゼだし、例えなくっていいってことだよ。
あいつはあいつなりに頑張ってるんだから」
ルセルのその言葉にびっくりしたのはセルカだった。
『あいつはあいつなりに頑張ってる』だなんて、ルゼのことを良いように評価しているのをルセルの口から聞くとは思わなかったのだ。
「本当、今日はルセルから思っても見ない言葉を聞く日だわ」
「…おい、ほんとにお前、おれを何だと…」
セルカはくすくすと笑いながら空を見上げている。
珍しく自分の方が茶化されたのだと気づき、ルセルは顔をむっとさせたが、すぐに相好を崩した。
そして思わず、自分が心に決めていたことを口に出す。
「おれは天狼星のように二人を照らし、守る星になる。」
それを聞いてセルカが疑問の表情を見せる。
「例える必要はない〜なんて言った傍から、自分を星に例えるの?」
「そうさ?ルゼは星に例えることができないからな。でも、俺は白い星でいい。
死ぬ星だとしても、二人の行く道を照らすことが出来るんなら、それでいい。」
ルセルの思っても見ない発言に絶句するセルカ。
今まで言葉には出していなかったが、ルセルはことのほか、ルゼとセルカを気に入っていた。
昔は、ルセルも聖職者の職業の通り、神を信仰し、祈りを捧げる毎日を過ごしていた。
幼いころからのそんな毎日に、疑問も何も無かった。
住んでいた場所もこんな森の中ではなく、ミルレスの町の中にあった。
だが、ある時、興味本位で研究していた古代文字をルセルは解読してしまったのだ。
そのおかげで今までわからなかった謎や知識を得た。世界の秘密を少しでも垣間見てしまった。
−−その頃から、人と関わることをやめた。
古代メンタルロニアの文書。
その文書の解読は、大いなる力を手にするための手段であると言われている。
富豪や研究者、そして皇帝がその文書の解読に躍起になっている。
大いなる力を手にするため。
そんな文書の解読者だと世間に知れたら…研究をする魔術師や聖職者、あるいはアスク帝国に狙われるとルセルは感じたからだった。
もちろん、今も、セルカやルゼ以外の人との接触はほどんど無いと言って良いだろう。
人が来ようものなら、問答無用でパージフレアというスペルを放っているくらいだった。
その行為は二人が来る前でも行ってきたことだったので、変に思われることも無いし、二人が隠れる場所として、とても都合がよい場所でもあった。
そうやって撃退を何度かしていくうちにルセルは気づいた。
家の近くに人影が見えたときに見せるセルカの表情を何度か見ているうちに察したのだ。
セルカとルゼは何かに追われている。二人がとても太刀打ちできないと思っている存在に。
それはまるで、あり得たかもしれない、そしてありえるかもしれない未来の自分の姿のようだと、ルセルは感じていた。
まだ二人は未熟だ。
だからこそ今この二人を守ってやりたいとルセルは心に決めていた。
「俺がお前達を守る。それがお前達に出来るたった一つのことだからな」
「まるでお師匠様みたいね、ルセル」
「だってお前等より技術も経験も上だぞ?お前等にもちゃんとスペルとかスキルとか教えてるし。お師匠様だって。
それにさ−−−」
言って、横に座っているセルカの顔を覗き込む。
「二人だけで生きていくことが出来ないから、ここに来たんだろ?」
セルカがその言葉を聞いて苦笑いを見せる。
「…痛い突っ込みね…でもその通りよ。だからといって、ルセルに迷惑はかけられない。
私が一人ででもルゼを守れるようになったら、出て行くわ」
「お〜お〜強気なこって。」
ルセルが手を横に上げて、お手上げのしぐさをする。そして盛大なため息をわざとらしくついてみせた。
その様子にセルカがむぅっとした顔でルセルを見る。
するとルセルはゆっくりとセルカのほうに顔を向けると、はっきりとこう言った。
「そうなったとしても、おれが守ってやるよ。」
まじめな顔つきでルセルが言い、いつもは見せない、とても柔らかな笑みを見せた。
再び呆然とした顔をするセルカの頬を一度だけそっと撫で、くすりと笑うと空を見上げて空に手を伸ばす。
そして、少しだけ遠い場所を見つめてこう言った。
「今はまだ出ていない天狼星に誓って」
伸ばした手を握り締める。
そして−−−
「なぁんてな」
ちゃらけた声でごまかした。
−−−今の言葉はルセルにとっての限界。
本心をちゃらけた言葉で隠さないと恥ずかくて仕方がない、ルセルはそんな性格なのだ。
セルカはそんなルセルの性格は百も承知だった。
ルセルが本当に守ってやると思っていること。信頼してもいいんだというそのルセルの気持ち。
セルカの心には伝わってきていた。
「…ありがとう……」
まだ出ていない天狼星。
隣に居てくれる、星のように輝くこの人は、きっと滅ぶことのない天狼星だ。
星空に向かって、セルカは全ての思いを込めた言葉と思いを零した。
その言葉と思いは満天の空に溶けて、誰にも負けない光を放っていた。