<アスガルド 神の巫女>

裏側の時間軸 編



ひとつめの物語 小さな旅人



『ごめんなさい、ジルさん。ごめんなさい…』
僕は心の中で何度も何度も呟きながら、夜深い、スオミの道を歩いていた。
ポンの調査も無事終わり、一息ついたこんなときに逃げ出すようなことなんかして、心の中がもやもやとするけれど、でも仕方が無いことなんだ。
だって、セルカが変わっていたから…
今まで僕はそのセルカという女性を探して旅をしてきた。
ポンの調査の際に森の中でセルカと出会えるなんて、本当に思っていなかった。
姿を、セルカだとわかったとき、心の奥底では嬉しさに心がはねた。
でも、すぐにその思いは薄れていった。
セルカだけど…セルカじゃない…
僕にはすぐに思えたことだった。
セルカはそんな冷めた瞳をしてはいなかった。
僕の知っているセルカはもっと柔らかな、午後の日差しみたいな瞳を見せていた。
最後に会ったあの時から…セルカがセルカじゃなくなっちゃったみたいだ…
今も、セルカのことを思うと、悲しくなってくる…
…だめだ、こんなんじゃ!とにかくこの町から出ないと…
スペル発動時の音で、ジルさんが起きてしまうのを恐れた僕は今まで当てもなく外を歩いていた。
考え事をしていたせいで、泊まっていた宿屋からずいぶん離れた場所まで来ていることに今さら気づいた。
もうここならいいだろう。
「ジルさん、さようなら…」
誰にいうわけでもなかったけど僕はそう呟くと、町まで移動するスペルを発動した。


「精神集中がまずかったのかなぁ…」
僕は帽子を押さえながら空を見た。
見上げれば、蒼く染まった空と木のてっぺんがみえる。
−−−僕は森の中にいた。
「う〜ん、どこだろう…ここ」
スオミの町からルアスの街へ行こうとスペルを発動したけど、どうやら精神集中が悪かったらしい。
でも、それほど的外れな場所に着いてはいないはず…
そうは言っても見回せば森。近くにルアスの街があると断言できない。
「困ったなぁ…」
それに今は夜。下手にうろうろ森の中を動いていれば、モンスターに遭遇すること間違いなしだろう。
モンスターには夜目がとても効く者もいると聞いたことがあるし。
「野宿…かな」
でも、ジルさんに食料全て入ったバックを置いてきたもんだから、今の僕の手元には食べ物も、薬も、ましてや防寒用の布すらない。
静かに木の下でうずくまって夜をやり過ごすしかないっか…
僕は適当な場所を探して見つけると、すぐにうずくまった。
動いている姿さえ、モンスターの格好の的になりかねないから。
しばらくあたりの気配を探り、何もいないことを確認してから眠りについた。


とんとんっ。
「?!」
僕は目が覚めた。
今、誰かに肩を叩かれたような…
辺りをそっと見回してみると、僕の目の前に居たのは−−−
「あわわっ!」
慌てて僕は飛び退き、無意識に攻撃態勢に入って、気が付いた。
目の前に居た者。それは−−−
「ぽ、ポン…」
ポンが一匹、僕の目の前をふよふよ浮いていたのだ。
ここは、スオミの森ってことかな…
ポンが生息しているのはスオミの森だけだし、と思いつつ、ポンを見ていると、ポンは手にもっていた物体でなにやらやっている。
…ポンって…何か武器持ってたっけ…?
というより、あれって看板とペンに見えるんだけど…
僕が思っているとポンはさっとその物体を僕に見せるように掲げる。
それには何か文字が書いてあった。
“てき、ちがう ミー、まいご”
ほんとに看板だったんだ…
書いてある文字は形が崩れていたけど、ポンの出した看板にはそう書いてあった。
「ミーって…君の名前?」
何となくポンに問い掛けると、目の前のポンはこくこくとまるで頷くように体を揺らした。


「迷子って言っても…僕も迷子だしねぇ…」
ポンのミーが掲げている文章を読んで、僕はそう答えた。
ミーがはルアスに行きたいらしい。
“るあすいきたい”もう一度掲げられた看板にはそう書いてあった。
「そう言われても…僕も迷子なんだよ。せめてここがどこだかわかればいいんだけどねぇ…」
そう言って座り込んだ僕の横でふわふわ揺れているミーをちょんとつついた。
くすぐったそうにふわりと揺らめく。
「ルアスを探すのは、夜があけてからね?でないと、恐ぁ〜いモンスターが出てくるから」
ポンに恐いモンスターと言ってもどうなんだろうと、言ってから思ったけど、ミーは納得したみたいで、くるりとその場で宙返りをした。


朝。
「もう一回、ウィザードゲートを使えば、いけると思うよ」
僕はミーにそう言うと、僕の体に捕まってもらった。
スペルを詠唱しようとして、はたと気がつく。
そういえば僕は人間だけど、ミーはポン、つまりモンスターだ。
スペルと言うのはまだまだ不可解な要素を組み合わせて作った力。
はたして、モンスターと一緒にウィザードゲートを使えるのかな…ヘンな狭間に飛ばされたり、命が危うくなったりしたら大変だ。
僕に今必死につかまっているミーは小さい。僕がいつも使っていて無事と言っても、小さな体の、しかもモンスターのポンに何か影響がないなんて言い切れない。
「ごめん、スペル…使えないや…やっぱり歩いてルアスについたほうがいいね」
一生懸命捕まった手は放さないまま、ミーが顔を向ける。
言葉がしゃべれたら、きっと『そうなの?』と言ってるだろなぁ。
それくらいきょとんと不思議そうな顔をしていた。
モンスターにも表情ってあるんだなって、ミーを見て僕は少しだけ微笑んだ。


「ここのモンスターに君と同じポンが現れたら、ここはスオミの森。
ディドっていうモンスターが現れたら、ルアスの森。
モスっていう飛んでるモンスターが現れたら、ここはミルレスの森。
って区別できたらいいのにねぇ…」
僕は森を指折り数えながら言った。
ルアスに繋がる森、もしくは近くの森と考えたとき、3つの森が思いつく。それが今言った3つの森だった。
でもこの3つの森で生息しているモンスターは同じみたいだと聞いたことがある。
ただ、ポンだけはスオミの森でしか見ることが出来ないんだとか。
ポンが現れたらスオミ森だって言うのは確かになるかぁ〜
そうぼんやりと考えていると、僕の袖をくいくいっと引っ張って、
“このもりいがいだったら?”
と、ミーが聞く。
「えっと〜僕は言ったこと無いからよくわからないんだけど…
かぼちゃのモンスターやねこやさるのモンスターが出るんだとか。
でね、そこの森はとても奥深い場所らしくって、暗い暗いところだって聞いたことがある
から」
だから多分そんな場所には飛ばされてないと思う。僕は地図を取り出すと、自分の今居る場所の道を地図から探せないかなと見てみる。
地図とにらめっこしていた僕は、近づいてきているのに気が付かなかった。
パシャっ!
水の音が近くで聞こえた。
ん?水?ここに湖とか見たかなぁ。
湖があるのならそこはスオミの森だろうなぁと思いながら音のした方を見ると−−−
ミーの目の前にディドがいて、べしべしべしべし戦っていた。
「え?わわわっ??ちょっと、ミー?」
僕が問い掛けてもディドと戦うのに必死なようで、こたえてくれない。僕はどうしていいのかわからないで、しばらく二人…というか二匹の対決を見ていた。
水をかけるミー。
どつくディド。
水をかけるミー。
どつくディド。
モンスター同士が戦っているのを見たのは初めてだけど…こういう場合、どうすればいいのかな…
「ミー、僕がディド、倒していい?」
僕が少し遠慮しながらも言うと、ミーは一歩下がった。これって倒して良いってことだよね。
「いくよっ。ウィンドアロー」
僕は今さっきまでミーが戦っていたディドに向かって、スペルを放った。
ディドはそのスペルで、少し遠い場所に飛ばされ、それをきっかけにディドは逃げ去っていく。
姿が見えなくなったことを確認して、僕はミーの方を振り向く。
「もしかして、僕をかばって戦ってくれてた?」
するとミーは看板に書き始める。
そしてすたっと掲げた。
“ミーつよいこ つよいこがんばる がんばればつよいこ”
「つよいこかぁ。よく頑張ったね。ミー」
頭をなでなですると、嬉しそうにミーは体を弾ませた。
そしてすぐに
へたんっ
ミーが地面にぽとりと落ちた。
「えっ!ちょっと?!ミー?!」
僕は慌ててミーを抱き上げて−−−気づいた。
「…なんか…縮んでる…?」
近くに来て気づいたけど、ミーの体は確かに二周りくらい縮んでいた。
僕、モンスターに詳しいわけじゃないけど…確かポンってミニュ湖から生まれる水のモンスターだとか…
攻撃するのも水を出してたし…
自分の体の水を犠牲にしての攻撃…?!
「み…水…水…」
僕は慌ててポケットを探って、水のビンを探した。
確か水のビンだけは…あるはず…
食べ物は持っていなかったけれど、昔、水だけはどんなときも持ち歩かないとダメだ!と怒られたことがあったから持ち歩いていた。
探り当てた水のビンは3つ。
「3つで…足りるかなぁ…」
僕は思わずそう呟くと、へたっとなっているミーに水をかけてみる。
とくとくとく…
「ミー?大丈夫?」
問い掛けてみると、ミーは目を開けて僕を見た。でもまだ体を動かそうとしない。
水をかけるだけじゃダメなのかな…
「ミー、口あけて。お水飲ませてあげるから」
言うと、ミーは僕の言った通りに口を開ける。2本目の水のビンの栓を開け、ミーの口へとゆっくり飲ませてあげた。
ビンが空になったことを確認して、ミーの口からビンを離した。
「だ、大丈夫?」
と、問い掛けてみて気づいた。
さっきよりちょっとだけ体が元に戻ったような気がする。
水を飲んで元気になったのか、ミーはふわっと飛び上がると、そのままふわふわと僕の周りをまわりだす。
やっぱり、水を飲ませた方がよかったのかぁ。
「もう一本、飲んでおく?」
きっと完全に元に戻るとはいえない量だけど、僕がそう問い掛けてみるとミーはこくこくと体全体を使って頷いた。


あの後、僕とミーは当てもわからず道を歩いていたんだけど、特徴的な道を見つけて地図と照らし合わせてみた。
すると−−−
「ここ、スオミの森だよ。しかもルアスの街に凄い近いところを僕ら、歩いてるよ!」
自分達の居場所がわかった嬉しさで興奮気味に僕が言うと、ミーも嬉しそうにくるくるその場を飛び回った。


「ミー、ルアスに行きたいって言ってたけど、知り合いとかがいるの?」
ルアスの入り口の門にたどり着いた僕は、思わずミーにそう問い掛けた。
するとミーは看板に書いて、僕に自信万満に見せた。
“ミーたいせつにしてくれるヒト みちではぐれた
るあすにいくっていってた まってるはず”
「そっか、大切にしてくれる人か〜」
もしかして、ミーってその人が飼っているペットかなぁ。
こんなに自分のことを表現してくれるポンは、ペットという部類じゃないと思う。
「とってもよくしてくれてるんだね」
僕がそう言うとミーはまた書き出す。
“ミー、だいすきなの るじるもきっとなかよくなる”
「そっかぁ〜、でもミー、僕の名前はルゼル。
“ぜ”じゃなくって“じ”になってるよ?」
僕の名前がどうしてかるじるになってることに気がついちゃって、思わず指摘してしまう僕。
ミーは自分が書いた看板をじっと見て、“じ”の部分を自分の手でげしげしとこすった。
そしてもう一度書いて僕に見せた。
とっても大きな字で、
“るぜる ありがと”
「どういたしまして。僕も楽しかった。」
ジルさんたちに、僕は何も言わずに出てきた。
そのことを不意に思い出したが、ミーがふわりといつもより高く飛び上がり、僕の頭をぽんぽんと叩いた。
叩いたと言うより、撫でたんだろう。
そして僕に看板を見せる。
“がんばろね”
「うん。ミーも頑張ってね。」
僕がそう言うと嬉しそうな顔をして僕を見やると、高く飛び上がって門の柱の上へちょこんと止まった。
そして看板を持っていないちいさな手をふりふりする。
「そか、そこで待つんだね〜
それじゃ、僕は街に入るよ」
僕も手を振り、小さなミーに大きな声でこう言った。
「ありがとう!またね!」
森で出会った小さな旅人に、僕は笑って手を振っていた。



「ミー!!どこに行ってたのよ!!
 探したじゃないの!」
“ミー まいごなってた”
「俺とあねさん、大慌てでミーを探してたんだぜ?よそ見して歩くなって言っただろう?」
“ルゥ ごめんね でも”
「?でも?」
“森でるぜるとあった”
「ルゼル?誰それ」
“やさしいヒト ここまでいっしょにきたの”
「じゃあ、その人は?ここにいないみたいだけど?」
“まち はいってった ちょっとさびしそうだった”
「さびしそう?まぁいいや。ほんとよかった〜ミー、そいつに何もされてないわよね?」
「なんか少し縮んでないか?戦闘でもしたのか?」
“せんとうした るぜる ひっしにみちさがしてたから わたしがんばった”
「そっか〜がんばったのね〜えらいわよ〜!ミー!
女の子だからって頑張らないとダメなのよ!」
“おんなのこ つよい”
「男だって強い。」
「とか言って、ルゥは全然戦闘しようとしないじゃない〜」
“もしかして るぅ よわよわ?”
「よわよわじゃないやいっ!」
「そっか〜弱いのかぁ〜そんなんじゃあ私の野望についていけないわよっ!」
「だからよわよわじゃないって!」


後ろの方から風に乗ってかすかに、にぎやかな声が聞こえてきた。
ミー、大切にしてくれてる人に会えたのかな。
僕も頑張らないと。
ミーに負けてはいられない。セルカを探すために、元に戻ってもらうために!
でも今はとりあえず−−−
「まずはお金をどうにかしないとね」
ジルさんに全てを渡してきたから、今、僕は一文無し。宿にも泊まれない。
今日、泊まる場所の確保と一緒に働く場所も考えないと。
でも僕は昔、ルアスの街に来たことがある。働く場所と言って思いついたのが、ハンターズギルドだった。
僕の足は自然にハンターズギルドへと向かっていた。
「日雇いとか、短期間とか…でも高収入の…ないかなぁ〜」
思わずぶつぶつと声に出して言いながら、僕はルアスの町並みに紛れ込んでいった。