<アスガルド 神の巫女>

第一幕

第五章 ミルレスの町の神官



第八話 ミルレスのはずれの隠れ家


目を開いてみると、そこは玄関の前だった。
真ん前に扉というのはあまりにも意外なことで、まるで閉鎖空間に入れられたと勘違いして、とっさに周りを見渡してしまう俺。
ここは森の中らしい。周りには木々が茂り、昼過ぎの光は柔らかに大地に振り注いでいる。
鳥はその日差しを受けて嬉しそうに飛んでいく。
振り向いてみれば先ほど見えた玄関の扉は普通の家よりは大きく、見上げてみると建物自体も大きいものだった。
「ここは…?」
「ミルレスの町にはまぁ近くって、街道とは離れた場所。
誰にも見付かることはないとこだから、心配しなくっていい。」
ルセルさんはそう言うと扉の前で何やら呪文を唱えた。
すると扉がわずかに光る。
そしてその光は徐々に収まっていく。
「扉に…スペルでもかけていたんですか」
扉に仕掛けをするスペルなんて初めて見た。俺は興味で問い掛けると、ルセルさんは『まぁな〜』と軽い調子で答えた。
「一応、扉にはちゃんと鍵かかってるけど、鍵なんてすぐに開けるような職人がいるからなぁ〜
だから、魔法をかけといたのさ。世界中を捜してもおれだけしか解くことはできないぜ〜
でも、よくわかったなぁ。光なんてわずかしか光らないはずだし、音も感覚もしないはずだけど?」
「いえ、光が見えたので、スペルでもかけておいてあったのかなと」
「ほ〜、修道士なのに博識だねぇ〜。
“光、イコール、スペル”と結びつく頭を持ってるんなら、修道士やらなくっても、魔術師とか聖職者とか出来そうなものなのにねぇ」
と笑いながら言われ、俺は『はぁ』と曖昧な相槌を打つくらいしか出来なかった。
持っていた鍵を出して、扉を開け、家の中に招き入れるルセルさんを見ながら俺はふと思いついた。
今の発言って…もしかして・・・
“修道士、イコール、頭バカ”の法則がルセルさんの中で出来上がってるのでは…?
えぇっと・・・
「ルセル、どういう意味なの。」
俺の後ろにいたルゼルがすいっと家に入って行き、扉を持っているルセルさんを睨みつけた。
「ルセルはジルさんと会ったのは今日がはじめての、初対面でしょう?
なのになんて言い方するんだよ」
「ジルコンが悪いとは言ってない。
おれはジルコンのようなヤツなら、体力バカな職業してなくってもいいじゃないかって言いたいだけさ」
そのルセルさんの物言いにむかつくのは、言われている当人である俺のはずなのに、ルゼルがムカッとした顔をあらわにした。
そして、何も言わず、ずんずんと家の中に入っていく。
・・・・・えっと・・・
「…ルゼルって…怒るとあんなに怖いんだな…知ってたか?ジルコン」
「いや…俺も知らなかった…」
「いや〜ルゼルも怒る事ができるようになったんだなぁ〜」
俺たちが呟いていると、ルセルさんが、扉を閉めつつ、のんきにそう言った。
「何そんなにしみじみ言ってるんだよ…ルゼル、本気で怒ったぜ…あれ…」
ルロクスが心配そうにルゼルが向かった先を見つめて言う。
あのルゼルの威圧感、というか怒りのオーラ…
ホント、俺もあんなルゼル、初めて見た。
玄関の扉を入ってすぐはホールになっていて、上へと続く階段があった。
その横はまだ奥があるようで、ルゼルはその玄関から突き当たった奥の廊下を歩き、左右に続いている廊下の右側へと歩いて去って言った。
それを見やりながら、オレはルセルさんを見て心配した。
あんなに怒ったルゼルを見たのは初めてだが、ルゼルをあんな怒ったままにしておいていいのだろうか…
するとルセルさんは俺の視線に気づき、『ジルコンくん、ごめんな?』と言って苦笑いした。
へ?どうして俺に向かって謝るんだ?
「いやさ、初めておれと会ったときのルゼってさ、本当に引っ込み思案でさ。
何をするにもセルカと一緒じゃなきゃダメだって言う感じだったんだよ。
あんまり可愛いもんだから、おれ、ルゼをかまいすぎちゃってさ〜」
ほむほむ?
「終いにはおれが話し掛けようとすると逃げるようになっちゃってさ。
あんなふうにおれに怒るなんて、ルゼは本当に表情が豊かになったなぁって…ちょっと試
してみたくなってさ。
ジルコンくんを悪く言ってみて、ルゼを怒らせてみた。」
『いや〜いい表情してたなぁ…うんうん』と腕を組んでご満悦な笑顔を見せる。
…えっと…
「ルセルってさ、根性、ひねくれてる?」
「いとしさゆえのいじわるってやつさ。」
ルロクスの突っ込みにルセルさんは嬉しそうにそう言い返す。
る、ルセルさん…太刀が悪いですよ…その試し方は…
「あの、さっき言ってた…『かまいすぎた』って…どんなことしてたんですか…」
「いや〜いろいろ口出しちゃってさ。セルカからは『いじめるのはやめてあげて』とか言われてたけどね〜
まぁちょっといじめてからかってたけど、それって愛情からくるものだし〜
あ、でも、おれの愛情っていうのは親心とか兄弟愛ってヤツだから、心配しないでいいから」
俺とルロクスの肩をぽんと叩いて、すごく嬉しそうにルセルさんが言った。
ええっと…どう反応していいのやら…
「ささ、ルゼはほっといて、俺たちはお茶でも飲もう〜!」
そう言ってルセルさんは肩に置いた手に力を入れて、半ば俺たちを強引にホール突き当りの右側へと連れて行った。
右側の廊下を歩いてすぐのドアを開け、部屋の中に入れて席に座るように言う。
俺とルロクスはそのルセルさんの強引さに、お互いの顔を見合わせて苦笑いをしたのだった。


「そっかぁ…ルゼとは海賊のいるあの要塞の入り口で出会ったのか…」
「えぇ、ちょっとヘマをしてしまったところにルゼルが駆けつけてくれて」
「話には聞くけれど、そこのモンスターは好戦的でとても危険な場所だろう?
あんなところにいけるようになってるなんて…師匠的にも兄的にも複雑だなぁ…」
お茶の用意をしたルセルさんは、まず先に簡単に自己紹介をしてから、
俺とルロクスに向かって今現在のこと、そしてルゼルのことをいろいろ話して欲しいと言った。
そこで俺は今置かれている状況とルゼルに出会った時のことを、ルロクスは俺たちと会ったときのことをざっと話した。
そして全て話した後で、ルセルさんは少し遠い目をしてそう呟くように言ったのだ。
「あれ?ルゼルのお師匠さんって…いなかったんじゃ?」
たしかルロクスがスペルの覚え方がおかしいと話をしていたときに、ルゼルは独学でスペルを覚えたと言っていたと記憶している。
それを思い出して、俺が不思議そうに問い掛けると、ルセルさんは『あぁ、まぁ、正式じゃないからなぁ』と言った。
「普通は、魔術師になるたまごは魔術師に魔法を習うのが常けどな。
ルゼはおれがこの家に匿っていたのはもう話したよな?
誰かから狙われているらしいルゼとセルカだ。
セルカはいろいろ聖職者としてスペルやスキルを覚えて、そこそこの技になっていた。
でもルゼは技も何もかも、全くしてなかったみたいだった。
自分の身は自分で守る術を覚えているのといないのとでは、心も成長できないと思ってさ。
いつもセルカ〜ってべったりやってるんじゃなくって、自分もセルカを守れるようになれって言い含めて
おれが魔術師のスペルを少しだけ教えてたんだよ。」
「へぇ…聖職者のあんたが魔術師のスペルを教えられるんだ?」
ルロクスが不思議そうに言って、出された紅茶に手をつける。
ルセルさんは『まぁな』と言って、自分が出してきたお茶請け用のケーキを口にした。
「一応、全ての職業の知識を知ることは出来るし、教えることは出来る。
でも実際には、おれは他職のスペルやスキルは使うことは禁じられていることだし、
使うことが出来たとしても、もう二度と聖職者としてのスペルを使用することは出来なくなってしまうかもしれないしね。」
「そうなんだ?」
「かもしれないということしか分からないけど、多分、そう言うものだと思うよ。
神様は浮気は許さないってことさ」
あぁそういうことか。
俺は納得した。
職業にはその職業を司る神様が居る。その神様の信仰によって、いろいろな力を神様から分けてもらって、今の力を出しているのだ。
だが、その信仰を破れば、天罰が下るとも聞いたことがある。
俺はその“信仰を破る”ということがどういうことか今までよくわかってはいなかったんだが、そういうことか。
それがそう言うことだったんだな…
「まぁ、神様じゃなくっても、浮気はダメだろ。」
「そういうことだね。
だからおれはルゼに初級程度の魔術の知識だけを伝えた。
…最初、ルゼは魔術師になるのを嫌がっていたけどな」
「嫌がっていた?」
俺が思わず問い掛けると、『嫌がるのはわからなくもなかったんだがな』と、すこしため息混じりの声でルセルさんは言った。
「魔法のほとんどは破壊と攻撃である魔術師。回復と補助を得意とする聖職者。
つまりはとっても大切なセルカとは相反する職−−−対極に位置する能力を持つことになる。
でもおれはあえて、ルゼは魔術師の道を進ませるべきだと思ったんだ」
「どうしてなんだ?」
ルロクスが不思議そうに言う。
ルロクスは魔術師だが、スオミの町の特徴である魔術師の町の子供だからという理由で魔術師になったということは予想がつくし、それが普通かとも思う。
だが、ミルレスに居たらしいルゼル。そして自分も、セルカさんも聖職者であるというのに、ルセルさんはどうして魔術師にさせたかったのか。
普通に考えても不思議に思うだろう。
ルセルさんは『不思議だろう?』と自分でも笑いながらそう言って、答えた。
「ルゼには守りの力より、切り開く力を与えたいと思ったんだよ。
その切り開く力というのがたとえ危険なスペルだとしてもね。
聖職者の場合は結局は守りに入らなきゃどうしようもないときがあるからな…
そうなってほしくなかっただけさ。」
そしてルセルさんは『それに−−−』と付け足した。
「ルゼが聖職者になったら、聖職者としての登録〜とかなんだかんだで、
結局はミルレスに戻ってこなきゃいけなくなるだろ。
二人はミルレスから逃げてきたらしいってことはわかっていたからな」
「ルセル…奥の深いこと、考えたんだな…」
「もっとほめると俺の中でいろいろ株が上がるぞ〜ルロクスくん〜」
肘を突いてあごの下で手を組み、にこにこと笑うルセルさん。
な、何かその笑み…ものすごく嬉しそうなのがちょっと怖いんですけど…
「ルセル…怖いから。その笑い方。」
「え〜だってな〜ルゼが男二人も連れて旅してるなんて、考えもつかなかったからなぁ〜
やるなぁと思ってさぁ。
まぁ兄貴代わりのおれとしてはだ。
感の良さ気なルロクスくんも捨てがたいが、やっぱり年齢を考えてジルコンくんのほうが似合うなと思うわけさ」
『は?!』
俺とルロクスは一緒になって声をあげた。
「久しぶりに会ったが、やっぱりルゼは線が細くて危なげな感じがするしなぁ。
二人は男装してるルゼの生い立ちを察して、着いてきてたんだろ?」
え…えっと…
「あの…ルセルさん…ルゼルの詳しいことを知ったのは昨日ですし、
その…ずっと男だと思っていましたし…生い立ちも詳しく聞こうとは思ってなかったんで」
「ルゼルは彼女のセルカを追って旅をしてるって思ってたしなぁ」
俺とルロクスが交互に言うとルセルさんは納得してくれたらしい。
頬杖をついてさも不満げな顔をして呟く。
「…なぁんだ。つまらない…」
「なにがつまらないの?」
不意にかけられた声に、思わず扉を見やった。
そこにいたのはルゼルだった…が…
「おれの予想通りの背丈に成長してて良かったよ。大きさはぴったりだったろう?」
「え…あ…うん…」
顔を赤らめて頷いたルゼルの姿は、いつもと違った。
いつもの白茶色の男用魔術師服ではなく、太陽のような明るい色を基調としたワンピースだった。
襟部分は大きく開いてはいるが、その両サイドを紐で結んでいるようなつくりになってる上着に、少し暗めの色の服を下に着ている様だった。
腰のあたりを桃色の布で包み、それを金具で固定してある。
その固定した金具と金具の間、前を隠すようにまっすぐな布にはなにやら文字が掛かれているような模様が入っていた。
肩から肘あたりはゆったりとした袖で包まれ、その姿はまるで裕福な家に住む少女だった。
どこからどう見ても女の子だった。
ルゼルは恥ずかしそうにしながら、にこりと笑う。
だが、そんなことをしても何の反応を見せない俺たち。
それを見て不安そうな目線を向けた。
「え、えっと…似合いませんよね…僕…や、やっぱり着替えてきますっ」
「え?あっ、やっ、ちょっと待って待ってっ」
今にも部屋を飛び出していきそうなルゼルを慌てて引き止める俺。それを見てルセルさんの口元がにやりと弧を描いた。
「ルゼ、大丈夫だぜ〜
ジルコン君とルロクスくんはお前の可愛い姿に、見とれてただけなんだから〜」
ふふりと笑ってうんうんと首を縦に振る。するとルゼルはむぅっと怒りを秘めた表情をしてルセルさんを睨んだ。
「お?おれは事実をちゃ〜〜〜んと述べたまでだぞ?な?ジルコンくん?」
いきなり話を振られるなんて思ってなかった俺は、上ずった声になりながらも『は、はい』と答えた。
「る、ルゼルに見とれていたのは本当だよ。
ん…?え…えっと…」
俺がルセルさんの弁護をしていると、ルセルさんはなにやら俺の背中をちょいちょいとつついていた。
振り向いてみれば、さも嬉しそうな顔をしてルセルさんが口をぱくぱくさせて何か言っている。
その声になっていない言葉に気づいた俺は…
…え…えぇっと…

「と、とても似合ってる。
か、かわいいよ…うん」
照れる…
いつもと違うルゼルの姿に戸惑いはしたけれど…でもとっても女の子らしい、可愛い姿だったから。
きっとルゼルも俺たちにどう思われるんだろうとか少し不安に思いながらも、その服を着て、この部屋にきたんだろうし。
何か言ってあげなきゃとも思うし、お世辞とかそういう気持ちじゃなかったし、言った言葉は本当に思ってたことを言ったんだけれど…
て…照れる…
俺はテレながらそう言ったんだけど…
言われたルゼルはかあっと顔を赤らめて、すっと顔を下に下げてしまった。手は握りこぶしを作っている。
もしかして…ルゼル…怒っちゃったのか…??
あっ、俺もルセルさんとおんなじようにルゼルのことをおちょくってるとか思ったのか…?!
俺は慌ててルゼルにおちょくってはいないという旨を伝えようと口を開いたとき、俯いたままだったルゼルが一言何か呟いた。
言葉としては聞き取れないほどの小さな呟き…その呟きが聞きたくなって俺はルゼルに恐る恐る問い掛けた。
「ルゼル…?今…なんて…?」
俺の声にルゼルは小さな肩を更に小さく縮ませる。
握りしめていたルゼルの手は、自分が身にまとっているスカートの布を握り締めた。
そしてこう言った。
「あ…ありがとう…ご…ざいます…」
少し屈んで、ルゼルの顔色をうかがってみると、とても嬉しそうな、恥ずかしそうな、そんな顔をしているのが見れた。
見られたことに気づいたルゼルはすぐに顔をそむけてしまう。
「いいねぇ〜セイシュンってやつだねぇ〜」
「どっかの恋愛小説に出てきそうな場面だよなぁ〜コレ。」
明らかにルセルさんとルロクスにおちょくられてるなとはわかりながらも、俺は恥ずかしそうに俯くルゼルを見て、胸をほんわかとさせていた。