<アスガルド 神の巫女>

第一幕

第五章 ミルレスの町の神官



第七話 ルセルという名の青年


視界が元に戻ると、そこは家の中だった。
周りには…暗殺者達は居ない。
「…間一髪だったな…」
ルセルさんの安堵のため息と共にそう言う。
ルロクスが足を遅くさせるスペルに掛かったとき、正直、ルセルさんの発動させた移動スペルに乗るのは間に合わないかと思った…
無事に飛ぶことが出来た安堵に、俺も息を深くはいた。
「さて、かかった魔法を解除しなきゃな。
その子降ろしてやりなよ」
「あ、あぁ」
そう言えばそうだった。まだ担ぎ上げたままのルロクスをそっと床に降ろしてやる。
ルロクスは足に絡みつくように光っている光が不気味だと思ったんだろう。数歩歩こうとしたが自分の足が重いのか、『足がうまく動かないぜ…』と呟いた。
多分これは飛ぶ直前にかけられたマジシャンスローだろうな…
「数分したら解けるんだけど、それ、気持ち悪いんだよなぁ。
待ってな、解除してやるから。」
そう言ってルセルさんがスペル詠唱に入る。
「ノーマルワーキング」
ルセルさんが静かに言うと、持っていた杖をルロクスの足に当てた。
小さな鈴が鳴るような音がした後、ルロクスの足に掛かっていたほのかに青白い光は掻き消される。
「ありがとう〜ルセル!」
数歩歩いて、元の状態に戻ったことを確認すると、ルロクスが喜び、そう言った。
その言葉にルセルさんは『いやいや』と笑う。
「よっし、これで終了。とりあえずはお疲れさま」
ルセルさんが軽い調子で言って、持っていた杖を自分の肩にぽんとかけた。
「多分ここだろ?ルゼの居る場所」
言われて俺はこの場所がどこか見たことのある場所だと気づいた。
カウンターに、その上にはノートとペン。
…ここは…
「ジルコンさん、ルロクスさん、お帰りなさい。」
物音に気づいたんだろう。アルシュナさんが奥から出てくるとにっこりと微笑んで挨拶をした。
そう、ここは宿屋だった。
呆然としている俺たちがはっきりしない声で挨拶すると、アルシュナさんは俺たちの傍に居たもう一人の連れを見つけ、一瞬、目を細くさせた。そして面白そうに言う。
「あら、ルセルじゃない。売り物の服、もう出来たの?」
「わざとらしいねぇ、お前も。」
この二人、知り合いなのか…?
とりあえず宿屋に戻ってきたんだからいいとするか。と思いながら、俺はふたりを不思議そうに見やっていると、ルセルさんはさも不機嫌にしてアルシュナさんに詰め寄った。
「お前、ルゼを見つけたならどうして早くおれに言わないんだっ!」
「あらっ、明日にでも言おうと思っていたのよ?
女の子なんだから、おしゃれさせてから会わせたいじゃない?」
そう言ってアルシュナさんは当然と言った顔で言う。
「あの、すみません。この状況がよくわからないんだが…」
思わず俺が問い掛けると、アルシュナさんは『あぁ言ってなかったわねぇ』と頬に手を当てながら呟いた。
その呟きにルセルさんが『ばかやろ』と一言、悪態を吐いてから俺たちの方へ振り向いた。
そしてにっこりと俺たちに微笑む。
「それじゃあ、えっと、挨拶が遅れました。
おれはルセル・T・ナータ。
どこからか逃げてきたセルカとルゼ−−−えっとルゼルって言えばいいかな。
とにかく、二人を匿っていた家の主で、ルゼ達の味方。よろしく」
ルセルさんはそう言って手を差し出した。
思わず握って、はたと気づく…
「あ…」
「気がいいのか、鈍いのか、考えなしなのか。さあ君はどれ?」
ルセルさんに突っ込まれて何も言えなくなる俺。
ルセルさんが差し出した手は、“右手”だったのだ。
利き腕である手は大切なもの。不用意に差出し、攻撃されたら戦いにおいて不利なことは必至である。
なのに…なのに…ルアスの時と同様に、また右手で握手してしまった…
「たぶん、全部だと思うぜ。ジルって。」
ルロクスにも言われ、俺はさらに何も言えなくなってしまった。


「ジルさん、ルロクス、お帰りなさい。」
ドアを開けるとすぐにルゼルが声をかけた。
アルシュナさんの好意で泊まる事になった部屋。
その部屋のベッドの上には顔色の良くなったルゼルが居た。
「ルゼル、もう大丈夫か?」
ルロクスが入ってすぐにそう問い掛ける。
するとルゼルは『えぇ』と言ってにっこりと微笑んだ。
「もう大丈夫ですよ。普通に歩けますし。ほらっ」
そう言ってベッドから軽やかに降りると、部屋を2,3歩、歩いた。そこで俺たちを見て−−−はっとした顔を見せる。
ルゼルの視線の先にいる人は−−−ルセルさんだ。
俺の後ろに居たルセルさんはルゼルの元へ歩み寄る。
ルゼルが数歩、後ろに下がる。
ルセルさんがルゼルの目の前に立つと、ルゼルは戸惑った瞳をして見上げていた。
まるで怒られたときの子供のような顔をしている。
ルセルさんは不意に手を動かし顔の傍に持ってきて−−−振り下ろす。
ルゼルは目をぎゅっと瞑った。
ルゼルを叩くのかっ!?
そう思ったが、違ったらしい。
「おれが叩くかと思うくらいのことをしたっていう自覚はあるようだし、
許してやるよ。」
ルセルさんがいたずらっぽくにやりと笑ってルゼルにそう言った。そして上げていたその手をルゼルの頭にぽんと置く。
「お帰り。久しぶりだな、ルゼ」
「ル…セル…どうしてここに…」
驚きの表情とびくびくした顔が綯い交ぜ合ったような顔をして、ルゼルがそう問い掛けた。
するとルセルさんは俺たちの方を向くと、話し出す。
「毎回、手紙が来まくって鬱陶しくってたまらないから断りに行ってる屋敷に行ったら、
そこにこの二人がいたんだよ。
丁度なんか連れの怪我を治してくれって言ってさ。
名前がルゼルって言うもんだから、付いて行ったら、暗殺者がわっさりでさ。
楽しいくらい鬱陶しかったぜ。」
「暗殺者っ…」
ルゼルが驚いて言うと、深刻な顔をして黙ってしまった。
後から部屋に来たアルシュナさんがルゼルの傍まで来ると眉をひそめる。
「暗殺者ねぇ…ルセルが連れてきたの?」
「いや。おれかと思ったんだが、そこにいる修道士の子にも攻撃が行ってたから、
その子も目当てだったんじゃないかなぁとか思うけど…どうなんだろうなぁ?」
俺に目線を向けて、ルセルさんが言った。
これってやっぱり…
「ルゼルの…行方を追う…暗殺者…とかなのかな」
「たぶんね」
ルロクスが誰にともなく問うと、アルシュナさんがよどみない声で答えた。
「アルシュナ、やっぱりお前、ルゼのこと何か知ってるな?
ルゼはなぜ追われている?!4年も経ったのにまだ追われているなんて変だろう?!
理由は何なんだ?!」
ルセルさんが詰め寄る。するとアルシュナさんはすうっと目を細めた。
そして言う。
「それはルセル、あなたも薄々は掴んだんじゃないかしら?
あのリジスと言う男がどんな研究をしてるかってこととか。」
リジスさんのことを呼び捨てにしてアルシュナさんが意味深な事を言い出す。
その言葉にルセルさんは一瞬『は?』と眉をひそめたが、驚きの表情になり−−−
「やっぱり…リジスが…ルゼを追っているのか…」
「ご名答。」
二人だけで話が進んでいく。俺たちにはさっぱりわけがわからない。
でもリジスさんがルゼルを追っているのは…
「リジスさんはルゼルとセルカを探しているから追ってるんだろ?誰かに追われてる二人から守るために」
ルロクスが問う。その不満そうな顔にアルシュナさんは困った笑みを見せながら、ルロクスを見る。
「それは不正解ね。
誰かに追われてるから二人が逃げたんじゃなくって、
リジスのしてることに気づいたから、セルカちゃんがルゼルちゃんを連れて逃げ出したのよ。」
「逃げ出した…とは聞いてますけど…でも何処からかは…」
そう言ってルゼルが話しに参加した。それを見てルセルさんはずいっとルゼルに詰め寄った。その詰め寄りに圧倒され、後ろにあったベッドにぺたんと座り込む。
ルセルさんはそんなルゼルの肩に手を置いて、
「あの時はルゼもセルカも何かに怯えて、話そうとしなかった。おれも無理に聞き出そうとは思わなかった。
だが、二人とも居なくなってわかった。
おれは何も知らなかった。お前達のことを何も…
だから今、聞くぞ?」
じっとルゼルを見る、ルセルさんの瞳の強さは、見つめられていない俺でもよくわかった。
真剣な顔をして、そして少しの焦りと不安の色がない混ざって、ルセルさんは問い掛けた。
「セルカとルゼというわけじゃなく、ルゼ、お前だけが誰かに追いかけられていたんだな?」
「は…はい…そうみたいです…セルカが言ってました」
「お前が逃げ出す前に居た場所は何処だ?」
「ミルレスの町だって聞きました。他は何も…」
「じゃあ、お前はどんな能力を持ってる?」
「え…?」
何を言われているのかわからず、ルゼルがきょとんとする。
そんなことを気にする風でもなく、ルセルさんはルゼルに詰め寄った。
「リジスは何かの研究をしている。それにおれの知識が必要だとかぬかして、おれを研究に参加させたがっていた。
おれは利用されるのは真っ平だと突っぱねてたら、あのリジスのやろう、力で脅迫するようなことをしだしやがった。
でもそれはあいつの研究を達成させるためにおれが必要だったからって理由がつく。だがお前はどうなんだ?
何か、人とは違った知識を持ってるのか?」
問われたルゼルは、『知識?』と首をかしげて繰り返す。
その仕草にルセルさんは、はぁあああっと深いため息を漏らし、がっくりと肩を落とした。
そして、アルシュナさんを見やる。
「ルゼにおれ以上の知識なんてあるわけないし、おれが知らない知識を知ってるわけ無いよな…
アルシュナ、お前何か知ってるだろ!」
「ううん〜私達もどうしてルゼルちゃんが狙われるのか、わからないわ〜これはホントよ」
「…“これは”っていうあたり、本当にわからないらしいが…それ以外は何か知ってるだろ!」
アルシュナさんがはぐらかす。はぐらかされていい気はするわけがない。ルセルさんは、睨むようにアルシュナさんを見た。
その様子にあわあわと慌てだしたのはルゼルだった。『あのっ、えっと、二人とも、落ち着いて…』と二人をなだめている。
蚊帳の外状態の俺とルロクスは、そんな光景を見やりながら、
「つまりは…ルゼルはリジスさんに追われてるってワケか…?」
「さっき…俺たちが行った屋敷は…」
「敵方の根城ってことだよなぁ…」
ミスを起こしかけた自分達にぞっとしていた。
もしあそこでルゼルのことを言っていたら、ルゼルはすぐにリジスさんに掴まって…
でもそれでどうなるのだろう…ルゼルは殺されていたのだろうか…
嫌な方向に思考が向き、俺はさらにぞっとした。
ルゼルを追いかけ、セルカさんがルゼルの元を去ることになったきっかけを作った追っ手は、あのリジスさんが差し向け、その追っ手は僕達を殺そうとしているようだったとルゼルは言っていた。
つまりリジスさんはルゼルを苦しめている元凶?
だとしたらなぜルゼルを追う必要があるんだ?たとえ、リジスさんがひた隠しにしていることをふたりが知った、あるいは見たのだとしても、子供二人の言うことをはたして世間が信じるだろうか…
でもなにかを見たのだとしたら、秘密を守るために、普通なら殺すよな…じゃあなぜ…?
それにリジスさんがルゼルとセルカさんのことを話しているときに俺たちに見せたあの涙…あれは嘘の涙に見えなかったし…
考えがまとまらないまま、俺はルゼルを見つめた。
するとルセルさんは、『あぁわからん!』と一言怒鳴ると、すっくと立ち、まるでえらそうに胸を張って、腰に手を当てた。
「あぁ、もうこんなところ、危なっかしくってだめだ!
ほら移動移動!やろ〜ども〜!すぐに移動するぞ!
自分達の荷物は全部持ったか〜!」
「やろ〜どもって…」
ルセルさんの発言に、ルゼルはまともに眉を潜める。
…こんなにルゼルが嫌がっている顔…初めて見た気がする…その顔に気付いたそぶりもなく、ルセルさんはにやっといたずらめいた笑顔を見せた。
「どこをどう見ても、やろ〜どもだろうが。さっさとここを出る準備をするっ!
とは言っても、この部屋にあるのはそこにあるバックくらいだな」
そう言ってひょいっとルセルさんは机の上に置いてあったバックを手に持った。
そして俺と、ルロクスの腕を掴み、ルゼルの居るベッドの方へと引き寄せる。
それから、ルゼルの手に自分の服を掴ませるとアルシュナさんをきっと睨みつけた。
「アルシュナ、お前がなんと言おうとも、こいつらをおれの家に連れて行く」
「そうね、その方があたしも安心だわ。力のあるあなたなら大丈夫ね」
アルシュナさんがルセルさんに向かって頼もしそうに言うと、逆にルセルさんはむっとした顔を見せる。『嫌味がきついぜ』と呟くルセルさんの声が聞こえた。
そしてルセルさんは、自分のバックから、先ほどの暗殺者を巻く時に使った、本みたいなものと石を取り出した。そしてぱらりと紙をめくる。
そして一度本に俯き、ため息をついてから顔を上げた。
アルシュナさんをひたりと見つめる。
「アルシュナ…お前の知ってる情報、全部、手紙で送れ。
…二度とあんなヘマはしたくないんだ。」
「…わかったわ。3年間もルゼルちゃんを匿ってくれたんだものね…
あたしの知っている全てを書いて、あなたに送るわ。」
「頼む。よろしくな。
飛べっ」
こうっと足元に魔方陣の光が広がる
「あっ、アルシュナさん、ありがとうございました」
「あぁっ、宿代っ払ってないっ!」
「あ、そういえばそうだなぁ」
ルゼルが感謝の礼を言い、ふと気づいて俺が宿代を思い出し、ルロクスはのんきに相槌を打った。
だがアルシュナさんはぱたぱたと手を振って笑いかける。
「いいのよ〜大丈夫。すべてあたしのおごりってことでいいんだから〜
ルゼルちゃん、とにかく体を休めなさいね?
そこの男性陣3人はルゼルちゃんをしっかり守るようにね〜?」
その声を最後に、体にふわりとした浮遊感を感じた後、俺たちは光に包まれた。