<アスガルド 神の巫女>

第一幕

第五章 ミルレスの町の神官



第六話 似た名前


部屋を出る際、一人の男が部屋の前に訪れていた。歳はリシュアンさんよりは下に見える、20才位のその男。
灰色の服を着ているこの人は聖職者だろう。よく見るとその服は灰色で統一された、セルカさんと同じ高位法衣だった。
手には緑色の球体のついたスタッフを持っている。
何が気に入らないのかその男、ぶすっとした顔をしたまま歩くと、リジスさんを見つけるなり、わざとらしい笑みを見せた。
「リジス神官長、今日もお招きいただき、ありがとうございます。」
刺のある言い方で言うと、深々と頭を下げた。物凄くわざとらしい態度だと見て取れる。
この人、そんなにリジスさんのこと嫌いなのか…リジスさんは悲し気な顔を見せてその男に話しかける。
「ルセルさん…まだ私の研究のお手伝いをなさる気は起きませんか?」
「えぇ、起きませんね。」
しっかりとした意思を秘めた声で男は答えた。というより…
「る…ルゼルって言うんですか?あなたの名前」
話の部外者であるとはわかっていつつも、俺はついその人にそう問掛けてしまった。すると男は眉を一度潜めた後、にっこりと笑って『いいえ』と答えた。
「私の名前はルセルって言います。それが何か?」
リジスさんの時とは違ってにこやかな笑みを見せる。…この人なんか不思議な人だ…そう思いつつも問われた問いの返事を返した。
「えぇ、知り合いにルゼルと言う人がいるもので。びっくりしただけですよ」
「そうなんですか。ルゼルさんとルセル…それは似ている名前ですねぇ」
ルセルさんという人が相槌を打つ。
ルゼルという名前は多分、一般的な名前じゃないはずだ。
なぜなら、ルゼルと出会うまで、同じ名前の人と会ったことはなかったから。
まあ…本当の名前ではなかったけどな…
「ぜひ、そのルゼルさんにお会いしたいものですね。どこでお会いしたんですか?」
「旅の連れなんだよ」
ルロクスが話に割って入る。思わず俺はルロクスを肘でつついた。
あまりルゼルのことを他の人に言いたくはない。しかも手配が出た町ならなおさらだ。
なのにルロクスは『いいじゃんか』と一言言うと、再び話し出してしまった。
「今、そのルゼルが敵の攻撃受けちゃってさ〜休めば直るって言うんだけど心配なんだよなぁ。
なぁルセルは聖職者だろ?なら−−−」
「『聖職者なら病気なんてすぐに直せる』とでも言いたいのかな?
まあ直せるものなら直してあげなくもないけど?」
「ホントか!」
ルロクスが嬉しそうに声をあげる。
…もしかしてルロクス、ルゼルの傷や体力のことを思って…
でもやはりアルシュナさんが言っていた『ルゼルは誰かに狙われている』と言うことを考えると、ルゼルを簡単に見せるわけにはいかない。
…のに話はどんどん進んでいく。
「んじゃあさ、一緒に来てくれるか?」
ルロクスがうきうき気分で言った。すると横で話を聞いていたリジスさんがにこやかな笑みを見せてルセルさんを見ていた。そして俺の横にそっと寄ると、
「気難しいルセルさんをその気にさせるとは…すごいですね」
そう言って俺に耳打ちしはじめる。
「機会がありましたら、ルセルさんに研究のお手伝いの件、説得しておいてくれませんか?」
…この人たちはっ!!
俺はくるりと振り向くと、二人に深くお辞儀をしてこう言った。
「今、ルロクスが言ったように、旅の連れが倒れている状態です。
ですから今現在、お仕事の依頼を受ける気はありません。
それから、旅の連れは人見知りが激しくって、人と会ったら余計に体調が悪くなるかもしれないんで、
頼んでおいて申し訳ありませんが…えっと…失礼しますっ!」
俺はルロクスの手をばっと手早く掴むと、有無も言わさずに引っ張って廊下に出た。
「ちょっ!ジルコンっ!」
抗議する声は聞かない。
「ちょっと待てよっ!どうしてそんなに神経質になってんだよっ!」
ルロクスが小声で叫んだ。
神経質…そうかもしれない。
だが、誰かに狙われているという、セルカさんからの言葉だけを信じて逃げていたルゼル。
そして、今捕まったらセルカさんのことをどうすればいいんだろうと言って泣いたルゼル。
今ここで捕まらせるわけにはいかない。俺はそう強く思っていた。
だから、軽はずみな行動は出来ないんだ。
もうリシュアンさんの顔を立てたんだから、この町に訪れにくくなるってことは無いだろうけれど、ルゼルのことを知った今、またミルレスに来ようとは思わない。
今すぐにでも、町を出て行きたいとさえ思っている。
リジスさんの屋敷を飛び出るようにして出た後、俺はわき目も振らずに宿屋に向かって歩き出した。
「ルロクス、この町から出るぞ」
俺は宿屋に近道である裏路地を急ぎ歩く。
「なっ、なんだよっ!彼女を親代わりのやつに会わせる気はないのかよっ!」
ルゼルを親代わりでいたというリジスさんに会わせるのが普通だろう。
でも、どうしてもそれがいいのかどうか、俺はわからないでいた。
もちろん、ルゼルに話をして、それからこの町を出るか否かを決めようとは思っていたが、きっとリジスさんに会えば、リジスさんは会えた喜びでいっぱいになり、ルゼルは二度とこの町から外に出すなんてことはないだろう。
自分の下に置いておきたいと、そう思うだろう。
多分ルゼルも、それは望んでいないと俺は思う。
なんにしても、
「ルゼル次第だ。俺は早くリジスさんのことを話して、どうするかをルゼルに聞きたいんだよ」
「ってことはルゼのことはリジスのジジィには言ってないんだな…よかった…」
?!
不意に後ろからの声に振り向くと、そこには息を切らせながらも『よっ』と軽い調子で挨拶する男が居た。
「・・・ルセル・・・さん・・・」
「名前覚えてくれたんだ〜ありがとな〜。」
手をぱたぱたさせて、にかっと笑う。
「まぁとりあえずルゼに会おう。案内よろしくな」
「なっ!ちょっと待ってくださいっ」
俺は声を上げてくるりと振り向いた。
このルセルさん、何か知っているようだけど…今ルゼルを誰かに会わせたくない。
「俺はあなたを連れて行くとは言ってないでしょう。お引取り願います」
「イヤだね。…はぁ〜あ…変なのまで一緒に連れてきちゃって…全く…」
路地を見回してから、ちっと舌打ちをするルセルさん。
えっ?
「連れてきた?オレは変なのじゃねぇぞ?!」
ルロクスが声を上げる。
その反応に明るくはははっと笑うルセルさん。
そのルロクスの声に反応したのは他にも居た。
ざわりっ!
俺達の周りの空気が一瞬で変わる。
「ほら〜そんな面白いこというから、暗殺者の皆さんが殺気立っちゃうじゃないか〜」
声はおちゃらけて、だが、気配を探るのはやめずにルセルさんが言った。
この人…暗殺者の気配をわかってたのかっ!
武術に長けている修道士である俺ですらわからなかった気配をいち早く察知して、忠告しにきてくれたのか…
ルセルさんに言われて、気配を消す必要がないと踏んで気配を現した暗殺者達は、のんきに笑っているルセルさんと俺たちを威嚇しているようだった。
気配がわからなかったなんて…不覚だ…とか、悔やんでも遅い…
そう思いながらも、俺は慌てて気配のする場所を確認していく。
顔は動かさず、目線と意識で敵である暗殺者の数を数える。
よく気配を探ってみると少し遠い場所に居る暗殺者は、気配が強い。
まだ気配の消し方が下手なヤツを後方に回したってことか…?そうなると陣を組んでいるということになる。
陣を組んだ暗殺者…厄介なにおいがぷんぷんする。
「団体さんご到着〜って感じだな。ざっと5かな」
「いえ、多分6人です」
ルセルさんの言った言葉を俺は訂正した。
その発言が良かったのか、ルセルさんが口笛を吹いてからにっこり笑う。
「さすが、今までルゼを守ってきただけあるね。その服着てるのは伊達じゃないな」
「ルセルさん…?」
ルゼというのはやっぱりルゼルのことなのだろうか…
「ちょっと、どういうことだよっ!」
ルロクスがこの状況がよくわかっていないらしい。俺とルセルさんを交互に見てそう叫んだ。
−−−それが戦いの合図になった。
「パージフレアッ!」
ルセルさんが先制攻撃とばかりにスペルを発動する。
それは敵である暗殺者一人の足元から聖なる炎を吹き上げて攻撃するようなものだった。
だが暗殺者の一人はパージフレアを受けつつも、俺たちの方へと走ってくる。
他の暗殺者もどっと俺たち目掛けて、押し寄せてきた。
俺はルロクスをルセルさんと俺の間に置くと、臨戦体制をとる。
「ルロクスは何もしないでじっとしてろよ」
俺は背中を向けたまま、ルロクスにそう言った。
6人もの大人数を相手にしたことは今だかつて無いが、そんなこと言ってられる状態じゃないのはわかっている。
とにかくルロクスに注意が行かないように、攻撃されないように庇わないとならない。
俺の前へと走り寄ってきた最初の暗殺者に渾身の力を込めて拳を振るった。
が、さすがと言うべきか、暗殺者はひらりと身を反らして、俺の攻撃を避ける。
この暗殺者、動きの速さといい、盗賊かっ!
背後に回られては厄介だと動きを追おうにも、他の暗殺者が次々と俺目掛けて攻撃を繰り出してくる。
しかも何か投げつけられた…ってこれっ!ペパーボムっ?!
俺がひるんだその隙をついて他の暗殺者が俺との間に割って入る。そしてすばやい突きを繰り出してきた。
その攻撃を払い落として攻撃を避けてはいるものの、そんな攻撃をずっとされていては他の暗殺者達に攻撃の機会を与えてしまう。
俺は繰り出された突きを払い落としたその手で拳を作り、そのまま相手の体の方へ突き出した。
刺す攻撃を繰り出している体は前方に重心が傾いている。その状態で拳を腹部に繰り出せば、逃げにくいはず。
思った通り暗殺者は逃げることが出来ず、俺の拳を受けると前のめりに倒れた。
よし、まずは1人っ!
「なんでオレたちにこんな暗殺者が!?」
ルロクスが叫ぶように言った。
するとパージフレアを連発しながら、ルセルさんが笑って言う。
「この団体さん、おれや君達を殺す目的と言うよりは、何か情報聞き出したいから捕らえたいって感じだねぇ。
しかも、おれを標的にしてるのかと思ったら、君達に付いて来たみたいだし、攻撃を仕掛けてきてるのを見ると、
君達も何か情報もってると思われたんだろうねぇ」
「情報?なんの?」
「さぁ、おれはともかく、君達の情報っていうのがなんだろうねぇ〜」
まるではぐらかすように言ったルセルさんは、この状況にいらいらしてきたらしい。
「あ〜〜うっとうしいおまえらっ!!」
自分の前に居た敵に罵声を浴びせた。
そして、
「逃げるぞ!君らはおれについて来いっ!」
そう言ってスペル詠唱に入る。
何を使うんだ?
ルセルさんは杖を高く掲げて見せる。
それは暗殺者達の威嚇にもなったらしい。ルセルさんに攻撃をしていた暗殺者達は後方に数歩下がった。
そこでルセルさんのスペルは完成した。
「我等の前に降り立ち、群がりし敵に裁きを下せ!
リベレーション!!」
その声は大きく響いた。
そしてその後−−−
一瞬、何かわからなかった。
俺の体が光ってるかと思ったそのときには、目の前に居る敵が何かの打撃を受けて苦しんでいる姿が…
もしかしてルセルさんが今発動させたスペルの効果?
「こらっ!ぼさっとしないで走るぞっ!ついて来い!!」
何がなんだかよくわからないまま、俺はルロクスの手を掴んでルセルさんの後を追って駆け出した。
そんなことで逃がしたりはしないと、暗殺者達が追いかけてくる。
暗殺者達の足は速い。すぐに俺たちに迫ってくる勢いだ。
「どっ、どうするんですかっ?!」
「飛ぶ!おれに掴まれっ!」
言ってルセルさんは腰に下げたバックから一冊の本を取り出した。そしてそれを走りながらぱらぱらとめくる。
「飛ぶってどこにだよっ!ルゼル置いたまま、他の町に行く気はないからなっ!」
ルロクスが叫ぶ。だが、今、俺たちに身の危険が迫っている。今のところはこの場所からどこかへ逃げるべきだろう。
だが、ルセルさんは振り向きはしなかったものの、明るい声でこう言った。
「多分お前達が行きたい先だと思うぜ」
そう言って今度は本を片手に持ち、片方の手でバックから石を取り出した。
そして器用にも走りながら振り向き、追って来る暗殺者達にこう言った。
「お前等ッ!それじゃあな〜!」
言って、俺の手を掴む。
ルセルさんは本を再度開くと−−−
「飛べっ!」
本に向かってそう言った。
もしかしてその本、ゲートと同じ役割のようなもののようだ。
なんにせよ、この場所から離れられるのは良いな。
走ったままの俺たちの足元から光が現れ始める。
飛べる。
そう思ったときだった。
俺たちに向かって声が聞こえた。
「マジシャンスローっ!」
「うわっ!」
ルロクスが声を上げた。
スペル発動の声だったのかっ!しかもマジシャンスローって…足を遅くさせるスペルかっ!
このままだとルロクスは遅れ、ルセルさんが発動させた移動の効果に入らなくなってしまうっ!
俺はとっさにルロクスの手を引っ張りながら体ごと肩に抱え上げると、ルセルさんの腕をもう一度掴む。
そこで視界は白く歪んだ。