<アスガルド 神の巫女>

第一幕

第五章 ミルレスの町の神官



第五話 ミルレスの神官長


『目立つようなことは絶対しちゃダメよ?』
宿屋から出るとき、アルシュナさんにそう固く言われた。
ルゼルが居ることを悟られないためだという。
「俺たちが騒いでも、ルゼルのこと、判らないと思うんだけどなぁ…」
「ちょっ、こらっ、名前を出しちゃダメだろ?」
ミルレスの町の広場に到着したルロクスは、この町の雰囲気に溶け込むようなのんびりとした口調でそう言った。
それを慌てて指摘する俺。するとルロクスはどうして?といった顔を俺に向ける。
「なんでダメなんだ?ルゼルって名前、偽もんだろ?
なら、ここで言ったとしても、探してるやつらにはわかんねぇんじゃん?」
「どうして偽名だとわかるんだ??アルシュナさんに聞いたのか?」
俺が問い掛けると、ルロクスは『にぶいなぁ、全く…』と言って、苦笑いをした。
「・・・?どういうことだ?」
「よく考えてみろよ、ルゼルって名前、女ではつけない名前じゃねぇ?」
「・・・そ、そうかもしれないが・・・」
言われてみれば、ルゼルって名前は女の子の名前としてはあまり合ったような名前じゃないだろう。
でも…もしも本当にルゼルはルゼルって名前だったら…
「とにかく、る・・・えっと、彼女から名前について聞いてみて、呼び方を考えよう…
それまで呼び方は“彼女”で。」
ルゼルに聞いてみないと、どうしようもない。
今まで女の子だとは思っていなかった相手に彼女なんて呼ぶのは変な感じがするが、それ以外、良い呼び方が思いつかない。ルロクスも、『それもそうだなぁ〜それでいくか』と納得してくれてるようだし、彼女という呼び方で今のところは良いだろう。
ミルレスの町は木の上の都市と言われているが、本当にそうらしい。俺たちはとっさにゲートで来たからわからなかったのだが、町の人は俺達が旅人だとわかるらしく、『今、俺が立っている場所は神聖な木の上なんだよ』と口々に教えてくれる。草や木が生えてるのにこの大地が木の上なんて…ふつうなら信じられない。だが、そう言っている町の人の様子を見れば、ほんとのことなんだろうと思えた。
のんびりとした雰囲気に包まれているこの町…ルアスが“都会”と言うのなら、ミルレスの町は“田舎”と言えばいいだろう。広場はルアスのように人がたくさんというところではなかったが、草や木が程よく生えた、憩いの場所になっていた。さすが聖職者の町だけあって、歩く人たちの多くは聖職者の服を着ている。
ゆったりのんびりと時間が動いている−−−そんな町の中で、ひそやかに、ひそやかに聞こえる話し声。
思わず、ルゼルのことじゃないかと耳をすませたときに聞こえた、噂話。
『聖職者教会のリジス神官長はすばらしい方だけど…誰かと争われているだとか聞きましたわ』
『なんでも、高位神官様たちだそうで…派閥が出来ているらしいですわよ?』
…この町に来る前、ミルレスの森に住んでいたリフィルさんも言っていたが、ミルレスの神官達は何やらもめている状況らしい。
ルゼルのこともあるし、早めにこの町を去った方が得策だろうな、これは。
そう思ってふとルロクスを見やると、ルロクスの方は町に生えている木を見上げながら伸びをした。
「ほんっっっと、聖職者の服来たヤツばっかりだなぁ〜ここ。」
「聖職者の町だからなぁ」
俺が相槌を打つと、ルロクスは『まぁ、そうなんだけどな』と言葉を濁した。
どうしたんだろうとルロクスを見ていると、その視線に気づいたのか、ルロクスは俺に手招きをした。
ん?もっと近寄れってことか?
素直に俺はルロクスの傍に寄る。
そこをぐいっと下にひっぱられ、少し屈んだような状態の俺の耳元でルロクスは小さくしゃべりだした。
「なんか神聖な雰囲気と言うより、何か嫌な雰囲気がするんだよ。よくわかんねぇけどさ」
「嫌な雰囲気?」
歯に物の挟まったような言い方をするルロクスに問い掛けると、ルロクス自体もはっきりしないらしく、『よくわかんねぇんだよ』と言うばかりだった。
「想像してた町とすんごく違ったんだよ。どういえばいいのかわかんねぇけど、期待はずれって感じ…」
すごく残念そうな顔をしてそう言う。
一番このミルレスの町に行きたいと言っていたルロクスがそんな風に言うのなら、なおさらこの町に長居しなくてもいいな…
「ルロクス、彼女のこともある。早めにこの町を出よう。」
「あぁ、そうだなぁ。…あれって誰だろう?」
「ん?」
言われて、ルロクスの指差した方向を見やると、そこには何やら人だかりが出来ていた。
ひとだかりというよりは一人の人の後について歩いてるようなそんな光景。
そのついて来られているその男の人は服装から見て、神官だろうか。
町の中で見ている神官より高価そうなその服。
高位の神官服というよりは煌びやかな服だ。だがそれは派手すぎないぎりぎりのライン。
俺から見ればその男―――
「なぁ…成金みたいなやつがどうしてあんなに人気なんだろうな…」
ルロクスがいぶかしげな顔をしてその男を見る。思わず俺も『だよなあ…』ともらした。
「ジルコンもそう思うんだ。おれ、なんかあいつ嫌な感じするし。」
「でもまあ、人間、見た目だけで判断したら駄目だと言うし…」
「見た目が肝心とも言うじゃん?とにかく嫌なのを見ちゃったぜ…宿屋に戻ろう」
くるりと踵を返してルロクスがその場から離れようとしたときだった。
「あなたは…旅の方でしょうか?」
不意にかけられた声に振り向くと、そこにいたのは30代くらいの男だった。
にっこりと笑みを浮かべ、男は俺の服装をまじまじと見ていた。
「見たところ、かなりの経験を積んだ修道士の方とお見受けしますが…?」
突然、自分のことをそんな風に言われたことなんてなかった俺は思わず曖昧に『え?えぇ、まぁ…』と答えてしまった。
そんな俺の答えを聞いて、嬉しそうに笑みを深くする男。
なんなんだ?一体…
「あぁ、申し送れました。私、聖職者教会のリジス神官長の秘書をやらせて頂いている、リシュアンと申します。」
深々と礼をするリシュアンというその男。
そして顔を上げたときにはさらに笑みを深くしていた。
そのリシュアンさんはこう言い出した。
「私はリジス神官長のいいつけで、強いお人を探しておりました。ぜひ、リジス様の屋敷にいらしてくださいませんか?」
「なんで行かなきゃなんねぇんだよ」
俺が立ち止まっていることに気が付いたルロクスが戻ってきて俺の横で不機嫌そうにそう言った。
“リジス神官長”という部分が聞こえたんだろう。遠くに去っていく成金みたいな神官を見やっていた。
ルロクスのその目線に男は気が付き、一緒になってリジス神官を見る。
「リジス様は困っておいでなのです。
あなた方のようなお強い方に助力していただけないだろうか?そう思っていらっしゃるのです。
もちろん報酬は充分に払いますよ。依頼に成功すれば−−−」
そこで息を潜め、声を小さくする。表情も今までのにこにこ顔から一変して真剣な顔つきになった。
そしてこう言い出したのだ。
「成功すれば、30億グロッド払いましょう。」
「さっ!」
「なっ!」
俺とルロクスは思わず大きな声を出していた。


『一度話だけでも聞いてくださいませんか?』とリシュアンさんに言われてしまった俺達は、リジス神官長の家に招かれていた。
「ルロクス、お前確かこの家の主のこと、嫌いだって言ってなかったか?」
「そんなこと言ったって、成功したら30億グロッドもらえる仕事って何なのか、知りたいジャン?」
「まあな…」
実は俺もそう思って、リシュアンさんの後をついて、この家まで来たんだったりする。
そんな高額な依頼で、簡単なものだったら受けようと思うし、ヤバい依頼だったらルロクスを連れて逃げようとも思っている。
それ以前にリシュアンさんが必死な顔をして招待したがったから、遠慮しようにも出来なくなってしまったのだ。
「ま、30億グロッドの仕事聞いたらリシュアンの顔も立つんだろうし、すぐに帰ろうな〜」
言って、ルロクスは用意された部屋に置いてあった机に腰かけた。
「こら、机に座ったら駄目だろ。降りろよ?」
言って俺は部屋全体を見回した。この町ミルレスにある聖職者協会。その協会の神官長だというリジスの家に到着して、すぐ通されたこの部屋。なんといえばいいのか…広い。広すぎる。この部屋一つ分で、宿屋にある豪華な部屋三つ分はありそうだ…
ぴょんと机から飛び降りたルロクス。さっきまでこの部屋の広さと見たことの無い調度品の数々にはしゃいで歩き回っていたと言うのに、もうすでに興味がなくなったらしい。詰まらなさそうに扉を見つめては『まだかなぁ?』と呟いている。
「神官長らしいし、用事でもあるんだろうなぁ…」
「神官長だからって人を待たせる理由にはならないじゃんか…」
「私がご無理を言ってあなた方をお連れしてしまったからです。
リジス神官長のせいじゃございません」
いつの間にか、扉を開けてリシュアンさんが部屋に入ってきていた。
い…いつの間に…
ルロクスはそんなこと全く気にした様子も見せることなく、リシュアンさんに向かってふてくされたように尋ねた。
「なあ…まだか?神官長のリジスって人は〜」
「すぐ来られますよ。あっ、リジス様」
振り向くリシュアンに釣られて見てみればそこにいたのは、黒っぽい灰色の神官服を着た、50代位だろう初老の男が立っていた。その男は広場で見た成金みたいな男本人だった…が…
「成金の人…だよな?このおっちゃん」
「なっ!?」
リシュアンさんが声を上げる。
「あっわわ!なんでもないですっ気にしないでくださいっ!」
神官長である人を前にして怖じ気付くこと無く堂々と言ってのけるルロクスに慌てて、俺は手で口を塞ぐ。
リシュアンが驚きと怒りに口を出すより早く、リジス神官長は声をあげて笑いだした。
「っははははっ、そうだねぇ、祭時の法衣は成金のように見えるかもしれないなあ…
でもこれが私の普段の服装なんだよ?
君達のような大事なお客様を迎えるんだったら、あの法衣の方がよかったかな?」
と、まるで父親が子供に笑いかけるような微笑みでリジス神官長がルロクスに言った。
その笑みにルロクスは思わずたじろいで『いや…その服でいいよ…』と、どもり気味に言う。
そんなルロクスを見ながら笑みを零しているリジス神官長はくるりと俺の方を向くと歩み寄り、左手を差し出した。
「ようこそ、私の屋敷へ。
私はこのミルレスの町にある聖職者協会の取締、神官長をしているリジスというものです。
よろしくお願いしますね、旅の方」
「あ、こちらこそ、よろしくお願いします。リジス神官長」
俺が手を握り返すとリジス神官長はにこりと笑みを深くした。
「はははっ、神官長と呼ばなくっても結構ですよ。あなた方は聖職者協会の者ではないんですから」
「あ、はい、リジスさん」
なんかリシュアンさんの笑顔とこのリジスさんの笑みはおんなじ感じがする。
広場で見たあの印象とは思いもよらない感じの良さ。成金だとばかり思ってしまった俺が恥ずかしいとさえ思った。
「さぁさぁ、お茶を用意しましょうか。リシュアンさん、よろしくお願いできるかな?」
「はい、よろこんで」
リシュアンさんは満面の笑みを浮かべると、リジスさんに言われた通り、お茶の準備を始めたのだった。
「私があなた方のような立派な方を探していたのは、他でもありません。あるお仕事を依頼したかったからなのです」
しばらく自分達の話やリジスさん自身の話をした後、リジスさんはそう話を切り出した。
仕事の依頼。俺のように旅をしている者には、路銀が必要になる。
一つの場所に留まり、生活しているような者なら仕事を見つけ、それを続けたりするものだが、俺達のように旅から旅へのような暮らしをしていると、決まった仕事というものではなく、旅先での依頼をこなして収入を得ている。
ルアスの街のハンターズギルドのように畑耕しから用心棒まで幅広い仕事を募集しているような場所が町の中に必ずあり、そこで依頼を受け、仕事をする。
だが今回のように依頼人に直接会って依頼内容を聞き、依頼を受けるということもしばしばある。
大体が秘密裏に行わなければならない依頼のものなのだが…
俺はリジスさんの話に聞き入った。
「30億グロッドの仕事なんでしょ?リジスさん」
ルロクスもリジスさんのことが気に入ったのか、さん付けで問い掛けた。
するとリジスさんは後ろに控えていたリシュアンさんを振り向き見ると、リシュアンさんは『すみません。先に金額をしゃべってしまいました。』と頭を下げた。
「まぁいいでしょう。私があなた方に依頼したいのは“人探し”なのです」
「ひと…さがし?」
俺は眉を潜めた。それを気にすることなく、リジスさんはこくりと首を縦に振ると、話を続けた。
「ある少女達を探していただきたいのです」
「しょう…じょ…」
俺が呟くように言う。リジスさんは悲しそうに顔を伏せがちにしゃべりだした。
「あなた方も知っていると思いますが…昔、この町から2人の少女が居なくなってしまいました。
少女達は孤児でね…私が引き取って育てていました。
私はその少女達をとても大切にしていました。私には子供が居ないですからね…本当の子供のように思っていました…
その少女達を今でも私は探しているんです。」
「それって…二人で20億の報奨金がもらえる、指名手配されてる女の子二人のこと?」
ルロクスが問い掛けると、リジスさんは『悪いことをしたわけじゃないんですがね』と言って、頷いた。
「当時、少女達は13歳。あれからもう4年が経つ…
少女達はきっと、誰かに攫われたのです。
こんなに時間が経つと…思いたくないが…思いたくないんですが…
もう、死んでしまったのかとも…思うときがあります。」
リジスさんの手が震えている。その手を口元にやり、拳を作って力強くこう言った。
「ですが!どんな姿であれ、私は少女達を探したい!
見つけて抱きしめてやりたいんですよ…」
最後の言葉は悲しみに満ちて、声をかすれさせながらもリジスさんは言った。
リジスさんが今言っている少女は…セルカさんとルゼルのことだ…
いつもならすぐにいろいろ聞きたがるルロクスは黙ったまま。ルロクスもこの話は誰のことか、わかっているみたいだな。
俺は、確認のために、こう尋ねてみた。
「その…二人の名は…何と言うんですか?」
出てくる返事はセルカと言う名前と−−−ルゼルの本当の名前のはずだ。
リジスさんは顔の前で手を組み、組んだ手に額を押し当てた。
そして苦しそうに搾り出したその言葉…
「セルカ・ストーンウッドと、フィアと言う少女だよ」
「フィア…」
それがルゼルの本当の名前か…俺は心の中で呟いた。
このリジスさん。本当にセルカとルゼルのことが心配なんだろう。伏せているから表情は見えないが、リジスさんが伏せている机には涙が溜まっていた。
そしてそんなリジスさんがばっと顔を上げる。
「今まで見付からなかったがあなた達ならきっと見つけてくれると思っている。リシュアンくんの言ったように本当に30億グロッドお払いしてもいい。
お願いですっ!探してくださいませんか!」
リジスさんの強く、だが必死な口調のお願いに、俺達は断ることが出来ず、何も言えなくなってしまった。
今まで俺が聞いたルゼルについての情報が、頭の中でこんがらがってしまって、うまく思考がまとまらない。
「お願いできませんか?」
リジスさんの声が小さくなる。
俺はリジスさんの顔を見て、曖昧な言葉で返すしかなかった。
ルゼルは詳しいこともわからずに逃げて来たらしいし、詳しい説明はアルシュナさんから聞いた。
アルシュナさんもルゼル達は誰かから逃げてきたらしいとしかわからないようだった。
その誰かが、リジスさんの言った攫おうとした者からだとしたら…?
アルシュナさんとリジスさんの話を合わせるとこうだろう。
 誰かがルゼルとセルカさんを連れ去ろうとした。
 セルカさんはそれに気付き、ルゼルを連れて逃げ出した。
 その途中、アルシュナさんに出会ったお陰で、町外れの家に隠れて住むことができた…
「なぁ、ジルコン、その少女達、このリジスさんに会わせてやろうぜ?」
ルロクスが突然、そう言い出した。
だが、俺もその気持ちはある。
親代わりであったリジスさんならルゼルも会いたいだろうし…
でもちょっと待てよ?
何かが引っかかる。
「ジルコン、早速、少女達を探そうぜ?なっ!」
「え…あ…あぁ…」
引っかかる何かがわからず、俺はただ頷くだけだった。