<アスガルド 神の巫女>

第一幕

第五章 ミルレスの町の神官



第三話 少女


「私の働いてる場所は宿屋だから、安全にルゼルを休ませておけるわ」
そう言ってその女性は宿屋の女主人であるおばちゃんに話をつけて、宿屋の一室を貸してくれた。
宿屋だから貸すのは普通なのだが、その女性は『普通の部屋じゃ危険だわ』と言って二階の奥の高価な一室のドアを開けた。
どうして危険なんだろう…
俺が入るのを躊躇していると女性は少し怒った態度を見せた。
「お金のことでも考えてるの?そんなこと気にしないでいいのよ!
私はルゼルを知ってるし、ルゼルにはこの部屋が一番いいの。
とにかくルゼルをベットに寝かせて。後は私がやるから」
そうだよな…今はルゼルを休ませないと…
とがめるような口調で言われてしまった俺は、バツが悪いなと思いつつもこくりと頷いた。
部屋の中に歩み入って、抱いていたルゼルをそっとベットに寝かせてやる。
まだつらそうに眉をしかめて、時折、堪えていた息を吐くルゼル。
「なぁ、このままじゃやばいんじゃないか?
ルゼルは嫌がったけどやっぱりこの町の聖職者に見てもらったほうがいいんじゃ…」
「あぁ…そうしたほうがいいな…」
「だめよ。」
ルロクスが心配そうに言う声に俺が同意すると、なぜか女性は反論した。
「だめって…どうしてだよ?!もしかして手遅れとか言わねぇだろうなぁ…?」
心の奥に引っかかっていた可能性をルロクスが口にする。
体から血を流している風ではないルゼル。だが、あのデスチャンプスミルの攻撃を直に受けたことで、もしかしたら体の内部で大きな傷が出来ているのかもしれない。
内臓に支障をきたしているのかもしれない。
そんな状態のルゼルを俺たちは今まで何もできずにいたのだから…俺は無言で拳を強く握った。
すると女性は俺たちの表情を見てふっと笑うと
「大丈夫よ。そういう意味じゃないわ。ルゼルは大丈夫だから心配しなくていいのよ。
逆に私はあんたたちのほうが心配だよ?」
「は?どういう意味だよ?」
「あんたたちのほうが死にそうな顔してるってことだよ」
言いながら女性はルゼルの服に手をやり、服のボタンを一つ一つはずしていく。
「なんなんだよ〜俺たちが心配するの、当然じゃんか!」
ルロクスの反論に女性の手が止まる。
何か気に障るようなことでもルロクスが言ったか?と女性の様子を伺っていたが、そうではなかったらしい。
女性はくるりと振り向くと、
「さぁ、出て行った!ルゼルを楽な服に着替えさせてやらなきゃいけないんだから」
言いながら、俺たちの背中をぐいぐい押して部屋から出そうとし始めた。
「は?なんでオレらが締め出されなきゃいけないんだよ?!」
その女性の突然の行動にルロクスが反論しながら嫌がる。
俺もよくわからず、その女性に背中を押されながら疑問符を浮かべて見ていると、女性は何かに気づいたらしい。
そっとルゼルを一度見やった。
そして何かを納得したように目を閉じると、愁いを帯びた目を俺たちに見せた。
「そっか…ルゼルってあんたたちに…」
そうぶつぶつと言うと俺とルロクスを交互に見やっている。
まるで品定めのように…
「な、なんだよぅ…」
「ま…あんたたちなら大丈夫そうだろうね…」
そう言って女性が言い出した言葉に、俺たちは声を無くしたのだった。


今まで…よくよく考えてみればそうだった。
いろんな行動やしぐさがその一言で納得できる……
ルゼルの着替えを済ませた後、女性はやさしく笑って部屋を出て行った。
『ルゼルが起きて、落ち着いたら私を呼んでね』そう、一言、言い残して扉は閉まった。
部屋には落ち着いた眠りに落ちているルゼルと、俺とルロクスが残った。
「……ジルコンは…知ってたのかよ…」
「いや…」
ルロクスはさっきの女性が話した事実を聞いて、少しショックだったのかもしれない。
うつむき加減で背もたれの無い丸い椅子に座っていた。
女性が部屋を出て行ってから、俺たちはずっと無言のままだった…
俺はショックというよりも…
「ん……」
その声に、俺たちははじかれたようにそちらを見た。
ルゼルの…目が覚めた…
「ん…ぁ…」
視点の定まらない目をしてこちらを見やるルゼル。
そして俺とルロクスを見つけると少しずつ瞳の輝きが戻っていく。
状況を理解するとルゼルの瞳は悲しそうにゆがんだ。
「あ…すみません…ぼく…」
『迷惑かけてしまいました』とシュンとしながら詫びる。
そして俺たちが態度を変えないのを見て、さらに謝る。
「本当にすみません…とっさに体が動いていて…ごめんなさい…」
詫びてもまだ何も言わない俺たちを見て、ルゼルが目線を布団へと落とす。
そして、
「も、もう大丈夫ですから。」
まだ起き上がるのが辛いだろう自分の体を無理やりに起き上がらせて、俺たちに自分はもう平気だと見せかけようとする…
その行動にルロクスは切れたのだろう。
「やめろよ!そんなふうに無理してるの、見たいわけじゃねぇんだよ!」
ルロクスにいきなり怒鳴られたルゼルは、驚き、また視線が下へと下がった。
自分の行動で俺たちを怒らせた、そう思っているんだろう。
「ごめんなさい…」
今にも消え入りそうな声で詫び、力の入らない手で布団を握った。
俺たち三人の間に沈黙が続いた。
−−−どれ位してからか…
「オレはさ…」
ルロクスが辛そうな顔をして話を切り出した。
ルロクスも目線を下にして、言葉を搾り出しているような、そんな声で。
「オレはさ…そんなルゼルの姿見たくないって言うか…
…そんな風にされたらオレ…どうしていいかわからねぇよ…」
ルロクスは立ち上がると、ルゼルに向かって頭を下げた。
「ごめん…オレをかばったせいで攻撃食らって…辛いだろ…?
無理すんな…」
「そんな…ぼくが勝手にやったことだし…ぼくも悪いんだし…ごめん…」
ルロクスの謝罪にルゼルも謝る。それでもルロクスは謝りきれてない思いがあったようだった。
「いや、オレが悪いんだ…オレがしっかり敵の動き見ていればこんな…
ルゼルが怪我すること無かったし、攻撃も受けること無かった…
ごめんな…女なのに…辛い思いさせて…」
その言葉にルゼルの目が見開く。
ルロクスと…そして俺のほうへも目線をやる。
俺はこっくりと頷いてみせた。
「気づいてたの…?ぼくのこと…」
「ついさっきだよ…ルゼルが女だって知ったのは」
そう、この宿屋で働いているという女性が教えてくれたのだ。
ルゼルは女の子なのだと。
「ごめん!ほんとうにごめん!」
同性であってもかばってもらったことに責任を感じるであろうルロクス。
女性であるルゼルに攻撃が行ってしまったことに、さらに重く責任を感じたんだろう。
ルロクスは布団に頭をうずめてルゼルに詫びていた。
「ちょ、ルロクス…そんな、いいんだよ〜ぼくが勝手に飛び出したんだから…」
ルロクスのそのあまりの詫び方に戸惑うルゼル。
「だって、女を守れなかったなんてさ…男として最悪じゃん…しかもオレのせいだしさ…」
布団に突っ伏したまま、ぶつぶつと言うルロクス。俺もその気持ちは同じだった。
「ごめんな、ルゼル」
「そ、そんな、ジルさんまで…」
あまりのことに困惑しまくるルゼル。
「ぼくのことはその…怒らないんですか…」
『怒るわけないだろ』
おずおずと問いかけてくるルゼルの言葉に俺とルロクスの声が見事にハモった。
「女が旅するのって楽じゃねぇし、変なやつに絡まれやすいってオレでもわかってるし…」
ルロクスが眉を少し歪ませて言う。
「旅で野宿とかするときでも夜盗は女狙うっていうし…そりゃ、知って、ちょっとショックだったけどしかたねぇって」
「でも…すみません…」
またもやうな垂れるルゼル。ルロクスも余計な部分言わなくてもいいのにと心の中で突っ込みながら、ルゼルにそっと微笑みかけた。
「どうして隠してたのか知らないけれど、今まで隠すの辛かっただろう?」
「ジルさん…」
ルゼルが泣きそうな顔をして俺を見上げる。その表情に『あぁ、この子は女の子なんだ…』と改めて実感した。
「すみません…本当にすみません…今まで言えなくて…言えなくなっちゃって…」
「だからいいんだって〜…な?もういいってば。ルゼルはルゼルだし、気にすんな」
瞳を少し潤ませて、ルゼルがすみませんともう一度呟いた。
おれとルロクスはお互いに顔を見合わせると、ふぅっと一度深くため息をつき、
「しかたねぇって」
「大変だったんだな」
両手で顔を覆ってしまったルゼルの頭を、二人で一緒に撫でてやった。