<アスガルド 神の巫女>

第一幕

第五章 ミルレスの町の神官



第二話 ミルレスの町


「くそおっ!」
俺はルゼルを背負い、森の中を走っていた。
片方の手でルロクスの手を引っ張り、止まることなくひた走った。
後方にはデスチャンプスミルの気配は無い。だが、すばやかった行動を思い出すと、もう大丈夫だと安心が出来きれない。
「ジルコン…っどこかで…様子を見ようぜ…っ
おれっ…足がもつれて…きたっ…」
辛そうなルロクスの声。振り向いて見やれば、声以上に辛そうな表情をして俺の後を着いてきていた。
この様子じゃ、もう走れないな…
走る道すがら、草が茂り、先が見えにくくなっている場所を見つけた俺は、すぐさま進路を草が茂る方へと変更した。
少し奥の方へ進んでから、俺は歩みを止める。
このあたりなら、すぐには見えないだろう。
だが、相手はトラの姿のモンスターだ。姿が見えないだけで本当に大丈夫だろうか…
不安に駆られながらも、俺は今まで握りっぱなしだったルロクスの手を離してやった。
手が離れたと同時にルロクスは胸に手を当て、辛そうに呼吸する。
「……はっ…はっ……」
息が整いきれてない辛さをぐっとこらえて、ルロクスは俺の背中に背負われている者に目をやった。
背負っていたルゼルを俺はそっと大地に降ろす。
そして首に巻いていた赤いマントで枕を作り、それを敷いた。
うぅっと再びうめくルゼル。
魔術師は修道士みたいに打撃に強くなるような修行をしているわけじゃないから、デスチャンプスミルのような打撃の攻撃を回避するなんてことや、
直撃を免れるために打ち所をずらしてやり過ごすなんてことは知らないだろう。
ルゼルはきっと、デスチャンプスミルの攻撃をまともに受けた。
外見では何も傷は見当たらないが…
「ルゼルは…大丈夫なのか…よ…」
「多分、腹に拳が直撃したんだろう…和らげる薬は無いから…頑張ってもらうしかないな…」
「そっか…」
苦しそうにしながらもルロクスは、ルゼルの顔を覗き込んだ。
ルゼルの顔は真っ青に青ざめて、力の無い表情を浮かべている。
…ルゼルも心配だが…
「ルロクスも大丈夫か?」
「大丈夫。休めばなんとかなる程度だし。でもちょっと…毒が抜けきれてないみたいだ…」
はははっと笑ってルロクスは俺に元気そうな顔を作って見せた。
…失念していた…ルロクスはディグバンカーの入り口で、望まずして毒にかかっていたんだった…
「すまん、そのこと、忘れていた…」
「しかたねぇって…大丈夫だって…おれも思って…言ってたんだから…
おれを庇ったせいで…ルゼルがこうなったんだし…」
言って、ルロクスはルゼルの頬に手を当てた。
−−−とたんに顔が固まる。
「…じ、ジルコン…ルゼルの体温…おかしい…」
震えるルロクスの声に、俺はとっさにルゼルの体を抱きしめた。
……体が……冷たくなってる…
俺の背中に寒気が走った。
「ルゼルっ!ルゼルっ!しっかりしろっ!!」
俺はルゼルに声をかけた。
弱々しく瞳を開けて、そして閉じた。
呼吸は荒いまま。
これは…ショック状態とか言うやつか…?
「ベルイースん家に行こうぜ…
リフィルとカラルは聖職者なんだから…なんとかしてくれるだろ…?」
「駄目だ。デスチャンプスミルがいた方向に戻ることになる…」
「そんなっ!それじゃあルゼルをこのままにしとくのかよっ」
「そんなわけないだろっ!」
俺はルゼルの頭を持ち上げて敷いていた自分のマントを引き抜き、それをルゼルの体にかけた。
そしてルゼルの頭を膝に載せて、体を擦る。
ショック状態になった人を介抱したことがないから、どんな風に対処すればいいのかわからない。
だが、冷えた状態のままじゃきっと危険だ。
どうする…
「ルゼル〜っルゼル〜っ」
ルゼルを心配して、ルロクスも俺と同じように体を擦り始めている。
やはり…
「ルロクス、自分で歩けるか?」
「あ、あぁ、落ち着いたから大丈夫。ちょっとの距離なら動ける。」
「なら、ミルレスに行くぞ。」
すると−−−ぐったりしているルゼルが弱々しくふるふると、首を横に振った。
…行きたくないってことか…だけど。
「ジルコン、行こうぜ。」
ルロクスがまっすぐな目を俺に向けていた。
こんな状態のルゼルを放って置くわけにはいかない。
ルロクスの言葉に俺は頷いた。
すると、ルロクスがすいっと手を差し出す。
その手には茶色の紙が丸く巻いてある巻物のようなものを差し出して−−−それはゲートだった。
「ルロクス…持ってきてたのか…」
「いや、ラズベリルがくれたんだ。『あんたたち貧乏そうだからあげるわ』って。
いつかのときのために使えばいいと思ってたんだけど、使う時期むちゃくちゃ早かったな。」
『ほらっ』と渡されたそのゲートにはミルレスという文字が書かれているプレートが下がっていた。
あぁ、そうか、別れ際、ラズベリルがルロクスにだけ何か渡していたと思ったら、これだったのか…
でもこれはゲートだが…
「でもこれじゃあ俺だけしかいけな−−−」
「よく見ろよ。そのプレートに書いてある文字、“個人”じゃなくって“多”だろ?」
言われてよく見てみると、そのプレートには個人とは書かれておらず、多と表記されていた。
「だから3人なら大丈夫なんだよ。確か、な。」
『そう言ってたんだよラズベリルが。』と付け加えるルロクス。
「そうか…」
なんにしても、ありがたい。
「使わせていただくよ」
「あぁ、使って移動しようぜ。」
そう言って俺の体を掴む。
こくりと頷いてルゼルを再び背中に背負った俺は、紐を口にくわえ、封印されているゲートの力を解いた。


ゲートを使って飛んだ先は、まるで橙色のショールで包まれているような黄昏時の光景だった。
木造の家々が立ち並ぶこの町並みは見覚えがある。
ここはミルレスの町だ。
俺は目的地に着いた安堵と、安全になった状況に、深くため息をついた。
俺たちが着いた場所は大通りと少し中に入った裏通りのような道だった。
俺たちの居る場所から見えるその大通りでも行きかう人はまばらで、誰も俺たちがこのミルレスの町に現れたということに気づいては居なかった。
一刻も早くルゼルをどこかで休めないと。
そして誰かに見せないと−−−
「ジルコン、誰か聖職者にルゼルを…!」
「あぁ、そこの大通りに出て、人に声をかければ大丈夫だ」
何せここはミルレスの町。聖職者の町と言われていることだけあって、聖職者以外の人を探すのは苦労すると言われるくらいの町だ。
聖職者の人にルゼルを見せれば、このルゼルの症状もなんなのかわかるだろうし、対処してくれるだろう。
俺とルロクスは早速、今自分たちの居る場所から見える、大きな通りの方へ向かおうとした。
そのときだった。
「る…ルゼルと言ったの?今…」
突然の後ろからの声に、俺たちはとっさに身構えた。
声の方向を見やると、そこにいたのは女性だった。
きらびやかな服装ではない、町で働く人の服装をしているその女性。
この女性が聖職者なのかどうかわからないが、とにかく状況を伝えて、聖職者か誰かに見てもらうようにしないと!
俺がその女性に話しかけようとするより先に、その女性はルゼルを見るなり、はっとした表情を見せた。
そして慌てだす。
「こんなところでぼさっとしてないで、とにかくこっちへ来なさい!」
わけもわからなかったが、俺は腕の中で苦しそうに呻っているルゼルを休ますことが出来る場所を見つけたい一心で、女性の後に続いた。