<アスガルド 神の巫女>

第一幕

第五章 ミルレスの町の神官



第二十三話 脱出


思うように歩けない。
思うように触れない。
こんな状態じゃ何も出来ない。
…とも思っていたのだが…
「結構歩ける…」
牢屋の中で一人、呟いていた。
俺、ジルコンは未だ牢屋の中にいた。
当然、動いている俺の足元と手元で、がしゃがしゃと鎖同士が当たる音がする。
その音が気に障っていたのか、さっきから俺の牢屋をうろうろと見張りが一人、うろついていた。
もうちょっと動いてみようかと足を踏み出したとき、その音が耐えらなくなったらしい見張りの男が口を出してきた。
「もうそれくらいにしたらどうなんだ?その音、外まで聞こえちゃうんだけど。」
あんなリジスの屋敷の見張りのわりには丁寧な物言いに、一瞬面を食らう。
もっと偉そうに『うるさい!やめろ!』とか言われるんだと思っていたんだが…
俺の様子を見て、その見張りの男は気軽に俺に話し掛けてきた。
「その格好、君、修道士だろう?
修道士の君がこんな牢屋の中じゃ、動きたくってしかたないんだろうけど、
明日までおとなしくしていなよ?
明日には釈放だってリジス神官長様がおっしゃったそうだから」
「リジス神官長様…ね…」
俺が不満そうに言うと、見張りの男は困ったように頭を掻いた。
この男、姿を見ると騎士の服装をしている。
気のよさそうなその男は、持っていた三又の不思議な槍?みたいなものを杖にして、俺の様子を見ていた。
そして鉄格子の真ん前に来て座り込む。
「何をしたのか知らないけれど、権力者に逆らうのはヤバいと思うよ?
今は何か言いたいことがあっても、穏便に、ね?」
俺を心配しての物言いだと気づき、俺は苦笑いを浮かべた。
穏便に…穏便に明日まで待ってるなんて、そんな悠長なこと、できない。
ましてや、明日、ルゼルが何だかの実験をされるって分かってるんだから。
「俺のためにも、今日と明日はじっとしていてほしいんだ。」
「・・・ダメって言ったら?」
「う〜ん…雇われた手前、脱走を阻止しないといけなくなる。
君、悪い人に見えないし、戦いたくないんだよなぁ…」
『だからお願い』と騎士さんが言う。牢番が牢に入っている囚人に頼むなんて変な話だ。
「わ・・・わかりましたよ・・・」
俺がそう言って座り込むと、騎士さんは嬉しそうににこっと笑い、『あぁよかった』と言う。
「それじゃあ、居心地悪いだろうけど我慢してゆっくりしてなよ〜?」
言いながらどこか奥のほうに去っていく。
ばたんと音がしたところをみると、部屋の外で見張りをしてるんだろうな…
俺は音を立てないように立ち上がった。
一人になると、さっき交わしたルゼルとの会話が思い出させる。
そして思い起こしてみれば見るほど、やっぱりルゼルが言った言葉が信じられない。
セルカさんのことになると、ルゼルはまるで動物みたいに猪突猛進になるのは前の時に知っていたし、今のルゼルがその“猪突猛進”状態なら…
あの言葉はルゼルの気持ちだけど、本当にしたいことではないってことになる。
だから…あの騎士さんには悪いけど…この牢屋から出る!
「よっと」
俺は牢屋の鉄格子の真ん前に立った。
ルセルさんのように博識ではないが…思いついた技が一つだけあった。
俺は足を出来るだけ前後に、体制が取りやすいように開いてやる。
両手のひらを鉄格子に当て、その手を自分の胸のところまで引く。
ルゼルがもう泣くことが無いように。セルカさんの状態をどうにかするためにも−−−
俺はっ!外に出たいんだっ!!
「っ!」
力を溜めたその手を、無言で前へ突き出した。
ドスっ
鈍い音がする。
そして床へと落ちていく鉄の棒。
「・・・!!」
・・・
・・・・
・・・・
「・・・ふぅ・・」
すんでのところで、とっさに腕を伸ばして二本を捕まえれたからよかったけど…あれでこの鉄の棒二本が床に落ちてたらものすごい音が…。
あ…危ない…
気づかれないようにしないと…
じゃらじゃら音を立てるわけにもいかない俺は、手や足の鎖を握り締め、そうっと牢屋を抜け出した。
小さな牢屋の扉からではなく、今空けた二本分の鉄の棒の間をすり抜ける。棒と棒との間が広い牢屋でよかった。
さっき居た気の良い騎士さんに知られないように…事は穏便に。
でもあの騎士さんはどうするべきか…
気配を殺して後ろから手刀かな…
騎士だし、気配に気付かれそうだよなあ…
そもそも、俺って手刀、やったことないんだよなあ…
出来るんだろうか…。
不安に思いつつ扉の前へとやってくる。大きな音がしていた割にはそれほど重くなさそうなその扉。
扉の向こうにはさっきの騎士さんがいるはず。
騎士さんが居眠りしないかぎり、気が付かれずにこの場所から出ることは無理に等しい。居眠りするまで待つなんていうのも論外。
やっぱり手刀か…でもこの扉を開けた時点ですぐにあの槍…というか鉾が、俺の体にねらいを定めるだろう。
相手の実力は知らないが…どうもあの騎士さん、暗殺者のことやリジスの本当の顔のことを知らないような気がする。
ど〜しようか〜な〜〜〜〜…
あ、そうか。
俺はその場にしゃがみ込むと、いまだに持っていた牢屋の元格子だった棒を、床すれすれで掲げた。
そしてそっと落とす。
がらん・・・・・・・
棒は床とぶつかり、ちいさく音を発生させた。
外で動く気配がある。
そして扉が押し開けられる。
ぎぃ〜〜っ
いまだっ!
開き掛けの扉をぐいっと手前に引いた。
「?!おわっとっとっと!?」
たたらを踏んでドアに掴まっている騎士さんの後ろに回ると、
「ごめん騎士さんっ!」
あなたに恨みは無いけれど・・・!
ていっと手刀を首の後ろにたたき当てる。
騎士さんは扉から手を離すと、そのまま崩れこむようにその場に倒れた。
・・・一応…手刀は成功…したんだよな…
心の中で謝りながら騎士さんを部屋の隅に移動させ、そおっと扉から廊下の方を見やると−−−
「ああっ!ジルコン!!」
元気な声で俺を呼ぶ声が聞こえた。