<アスガルド 神の巫女>

第一幕

第五章 ミルレスの町の神官



第一話 セルカという人


「セルカ…」
後方でルゼルが言った。
ディグバンカーダンジョンの入り口で雨宿りをした俺たちが、再びミルレスの町へと向かって歩き出してすぐ、俺たちは、セルカさんと出会った。
偶然のことで俺もルゼルもルロクスも、すぐに動くことが出来なかった。
最初にその硬直から開放させたのはやっぱりルゼルだった。
セルカさんの名を呼び、近付いて行くルゼル。
だがその歩みは俺の横までくるとぴたりと止まった。
ルゼルが俺の傍で止まったとき、ルゼルが走り出してしまったかもしれない可能性に気が付き…内心ほっとした。
ちらりとルゼルを見やると、ルゼルの潤んだ瞳が目に入る。
この様子だと今回は感情に流されることなく、冷静な判断が出来ているみたいだな…
よかった…ルゼルがつっぱしらなくて…
ルゼルがセルカさんに走りよっていたら…前回のこともあるしどうなるかわからなかったが、その考えも杞憂で終わってくれた。
安心して俺はセルカさんを見据える。
「セルカ…また会えた…」
ルゼルがにっこりと笑みを浮かべ、セルカさんを見つめる。
だが、微笑みを向けられたはずのセルカさんの表情は、前会った時と変わらぬまま。冷ややかな瞳をして俺たちを見ていた。
ルゼルはそんなセルカさんを見て、寂しそうな顔を見せる。
そしてセルカさんに向かって語りかけた。
「会いたかった…探してたんだよ、セルカ…」
そっとそっと、言葉を紡ぐ。だがルゼルのその言葉は、セルカさんの心には届いていないようだった。
冷ややかな瞳のまま俺たちを見つめるだけ。
その様子に耐えられなくなったルゼルが、ゆっくりとうつ向いた。
「どうして…あのとき…人をたくさん…
ううん…それよりもどうして僕の前からいなくなったの…?
ずっと一緒だったのに…」
ルゼルが辛そうに話しかける。
また…反応しないのか…そう思ったが、そうではなかった。
セルカさんはルゼルに視線をやった。そして口を開く。
「私はお前と一緒に居た記憶はない。」
その言葉にルゼルは『えっ?』と声を漏らした。
…どういうことだ…??
セルカさんとはずっと一緒に居たという話は俺も前にルゼルから聞いている。
それをセルカさんに否定された…?
何も言えなくなったルゼルを見据え、セルカさんはさらに冷たい瞳を強くして、しゃべりだした。
「お前はいつも守られているのだな。」
そう言って俺をちらりと見る。思わず俺は体に力が入った。
思いがけない視線と前回の攻撃のことを体が思い出してしまった
話し合いの場になっているのに臨戦体制を取るなんてだめだろ…俺はすぐに体制を元に戻す。
もちろんセルカさんへの警戒は解かないままで。
そんなことなんて全く気にもかけてない様子で、セルカさんは話を続けた。
「お前たちは、自分とは違う存在を異形なものだと言い、排除しようとする。
我々全てを邪魔な存在だと言い、滅ぼそうとした。
静かに時を過ごそうとするものさえも巻き込んで、あんな殺戮と幻の城へ我らを閉じ込めた…」
その声はまるで怒っているよう…
俺は話の内容がよく分からず、ちらりとルゼルの顔を盗み見た。
ルゼルも訝しげな顔をして、首をかしげる。
我々全てを邪魔な存在…?
殺戮と幻の城…?
その内容はまるでセルカさんが迫害を受けたような、そんな内容だった。
「ルゼル…殺戮と幻の城って…?」
俺は問いかけた。だが、ルゼルも首を横に振るだけで、わからないといった顔をする。
なにか…変だ…
「セルカ、何を言ってるの?殺戮と幻の城って?異形なものって一体…」
「…我らに仇成す人間全てを…我等を閉じ込めた人間どもを…殺す。そのために我はここにいる。」
「ちょっ!待ってよっ!セルカっ!」
何かが変だ…
ルゼルが必死にセルカさんを止めようと声を上げる姿が見える。
俺にはまるで劇を見ているかのような錯覚にとらわれた。
何かおかしい。
あべこべ…いや、何かかみ合っていない…
まるでセルカさんが人ではないような…そんな物言い…
ルゼルが歩き出そうとする。セルカさんへと。
「ルゼル、ダメだっ!」
「でっ、でもっ!セルカがおかしいよっ!おかしいんだよっ!」
俺が食い止めようと必死でルゼルの体を羽交い絞めすると、セルカさんはすいっと目線を俺にやった。
ぞくりと体が強張った。
その隙を狙ってルゼルが俺の腕からすり抜け、セルカさんの下へと走り寄っていく。
走って、セルカさんの腕を掴む。
「セルカ、戻ろう。僕達が住んでたところへ。帰ろう?ねっ?」
ルゼルはにっこりと笑ってセルカさんに言う。その様子をじっと見ていたセルカさんがふっと目を閉じた。
「お前達はまた…我を騙すのか…」
ルゼルの手を振り解き、セルカさんは手を左右に広げる。そして再び手を前へ合わせた。
コゥウン…
生まれ出る光。そしてそれは…はじけた。
ィイイインン…
その光のかけらの中から徐々に現れていく影…それは人ではなかった。
何体ものの影。
その影がはっきりしたときにはすでに、俺とルロクスの周りをすっくと立ったトラたちに囲まれていた。
「なっ!」
「うわっ!」
俺とルロクスが声を上げた。
信じられない事態に驚きが先立って、状況がうまく飲み込めない。
セルカさんがモンスターを召還した?!人がモンスターを召還するなんてそんなバカなこと…
このトラって…もしかしてチャンプスミルっていうトラのモンスターなのか…?
噂で聞いただけで、実際に見たことの無い俺だったが、そのトラたちの強さは知っていた。
どんなものでも恐れず立ち向かってくる姿と恐ろしい絶対的な力は、吟遊詩人の歌でも多く歌われているモンスターだったからだ。
そんなモンスターが一度に出てくるなんて…!!
ベルトの下にはいている短いズボンが黒い。
もしかしてこれはデスと言われている部類のモンスターか…?!
デスチャンプスミル…それは普通のチャンプスミルの何十倍も強いと言われているモンスターだ。
2体のデスチャンプスミル対、俺とルロクス。数的には同じだが、レベルが明らかに違う。
今動いたら、2体のデスチャンプスミルを刺激する…
俺はじっと2体のデスチャンプスミルを見据え、臨戦体制を取った。
それを合図とばかりに、一体のデスチャンプスミルが雄叫びを上げると、俺目掛けて突っ込んできた。
「ちぃっ!」
デスチャンプスミルは次々と拳を繰り出す。
俺と同じく格闘で敵を凪ぐデスチャンプスミルの力は、俺の思っていた以上だった。
速いっ!そして一つ一つがとても重い空気をまとった一撃を繰り出してくる。
それをぎりぎりで避けてはいるが、繰り出される一撃にまとった風が腕に紅い筋を増やす。
避けきれていないのかっ!?
その思考の隙をデスチャンプスミルが捉えた。
「くっ!」
鋭い突きが俺の横を通り過ぎる。
直撃ではないが、まとっている風の力で深い傷が出来たのが感覚でわかった。
傷の深さを見ている余裕すらない。
攻撃を繰り出すことも出来ず、デスチャンプスミルの攻撃を受けるだけで精一杯だった俺には、もう一匹のデスチャンプスミルが何をしようとしているのかなんて、全く見えていなかった。
俺は少し離れた場所に立っていたルロクスに攻撃の手が向いていることなんて、考える余裕すら無かったのだ。
「ルロクスっ!あぶないっ!!」
ルゼルの叫ぶ声。
そして倒れる音。
「ルゼルっ!」
振り向いたときにはルゼルのぐったりと倒れている姿が目に映る。
う、うそだろっ!
俺は自分の考慮の足りなさを痛感する。
同時に、胸の奥のほうで何かぎゅっと収縮する。
「ジルコンっ!ルゼルがっ!」
ルロクスが悲痛に叫ぶ。
俺は何とか繰り出される攻撃の合間を縫って後ろに飛んで下がり、ルロクスの傍まで走った。
倒れているルゼルの状況を確認する。
青冷めた顔をして倒れているルゼル…
近寄ってみるとルゼルのうぅっと苦しそうにうめく声が聞こえた。
「ルゼルがおれを庇って…でっかいトラの攻撃にまともに当たって…」
ルゼルを倒したトラ−−−俺が攻撃していなかったもう一匹のデスチャンプスミルを見やると、すでに俺が叩いていたデスチャンプスミルの横の場所で雄叫びを上げている。
つられたようにもう一匹も雄叫びを上げた。
こんなやつら2体…どうすれば…
この2体を呼び出した張本人であるセルカさんの方へと目を向けたが、もうその場所にセルカさんの姿はなかった。
また…居なくなった…
「ジルコンっ、このままじゃおれたちは…っ」
「わかってるっ!」
俺はそこらに落ちていた木の枝と石を掴むと、それを投げた。
デスチャンプスミルにではない。その後ろの茂みにだ。
なんなのかと思ってデスチャンプスミルが後方の茂みに眼を向ける。
それがチャンスだった。
「ルロクスっ!走るぞっ!」
「お…おうっ…」
戸惑いを含んだ声で答えたルロクスを庇いながら、俺はルゼルの体を抱えた。