<アスガルド 神の巫女>

第一幕

第五章 ミルレスの町の神官



第十七話 偽りの聖者


「幼いころから、君は博識で有名だったねぇ」
男はそう言って俺たちのそばへと歩み寄る。
「私の研究には君が役立つ。
町の人間に疎まれて森に篭ってしまった君を、私は助けようと思って私の研究に君を誘っていたというのに、
肝心の君は私をからかうような発言ばかり」
男の周りには数人の男が取り巻いている。
「そう、森にいたあのときにセルカやフィアをかくまっていたことを水に流そうとしていたというのに、ねぇ」
真ん中に立つその男は、にやりと不気味に笑った。
俺とルロクスとルセルさんは確実に知っている人物が、目の前に立っていた。
「リ…ジス…」
ルセルさんが苦虫をかみ締めたように苦々しくしながら、目の前の男の名を呟いた。
リジス−−−そう、ミルレスの神官長であるリジス神官長が、暗殺者らしき取り巻きを引き連れて俺たちの前に立っていたのだ。
「久しぶりだね、会いたかったよ、セルカ、そしてフィア」
にっこりと笑顔を浮かべる。その顔はミルレスの町で会った時のリジスさんのやさしい笑顔だった。
だが、その顔を見てルゼルが数歩、後ろに下がる。
セルカさんの体にすがりつくように隠れた。
顔色は青ざめ、少し震えている…
「り、リジスさんっ!」
「あぁ、ルロクスくん、君はもっと賢い子だと思ったんだけどなぁ。
私たちを導くどころか、ルセルの側に付くなど…
本当におろかな子だ。」
こんな場所に来るなんてこと、思っても見ていなかったルロクスが驚いて名を呼ぶと、にこにこ笑いながらリジスさんが言う。やさしそうな笑みのまま、ルロクスに言い放ったその言葉は、あまりにも黒く醜い言葉だった。
その言葉を聞いて、ルロクスが愕然とした表情になる。
それをにこにこ顔のまま見やった後、俺のほうへと顔を向ける。
「ジルコン君、だったかな。
君達二人は何も言わずに見ていなさい。
そうすれば、君とルロクス君の身の安全だけは保障しよう」
笑うその顔に俺は吐き気を覚える。
そのリジスはセルカさんの後ろに隠れるルゼルへと目をやった。
「フィア、お前はいい子だ。
私の研究を無意識とはいえ、実現させてくれるとは…本当にいい子だ。
さぁ、こちらにおいで?」
雰囲気を敏感に感じて、ルゼルが更に後退さる。
「そうだね、私の研究について、フィアには何も言ってなかったね。
教えてあげよう。私のすばらしい研究を」
後退さるルゼルを追うリジス。
セルカさんの後ろからも離れ、更に後退さる。
暗殺者たちもリジスの動きにあわせて、俺たちのほうへ近づいてくる。
さらに詰め寄ろうとしたリジスに杖の先が差し出される…
「…私の邪魔をするのか、セルカ。」
「私はセルカではない。」
淡々と答え、逃げているルゼルの盾になるようにリジスの前に立ちふさがった。
差し出した杖を引く。
リジスが壊れたように笑い声を上げた。
「はあっははははははは!
そうだな、お前はセルカの体に入ったデスメッセンジャーだったな!!!
セルカDとでも呼ぶか!!」
何が楽しいのかリジスはいまだに笑っている。
今言った話が本当なら…
この目の前に居る人はデスメッセンジャーで、体だけはセルカさんってこと…?
当のセルカさんは、目の前にいる笑い続けるリジスをひたりと見つめる。
そして一言。
「お前の浮かべる、その表情が気に食わない。」
引いた杖の先に光が灯る。
それを見てリジスは更に笑い出した。
「はあっはっはっは!
そう、それだ!その表情だ!
強い者が持つその瞳を!
その力を!
私は作り出したかったのだよ!!」
「…作り出す…だと」
「リジスお前は何をやろうとしやがった!
お前、ルゼに何をした!
セルカに何をしたんだよ!!」
リジスの声にセルカさんとルセルさんが反応する。
そんな声を聞くことなく、リジスは自分の言葉に浸りきったまま、しゃべり続けた。
「フィアがことを成し遂げた今、ルセル、お前にはもう用はないんだよ」
にやりと不気味な笑みを浮かべたそのとき、セルカさんとルゼルの足元に白い光が走った。


突然の光に包まれ、ルゼルとセルカさんの姿が一瞬見えなくなる。
「なん…くっ!」
「あわわっっ?!」
ルゼルとセルカさんは同時に声を上げた。
遠距離攻撃かっ!?
「セルカとフィアは私の研究に大事な子供達だ。
もう逃がしはしない。
デスメッセンジャーの心が入っているセルカなら…なおさら私の研究の糧になるだろう。
なぁ、フィア?」
リジスがねっとりと気持ち悪い笑みを浮かべてルゼルを見る。
そして後方をちらりと見た。
そこに現れたのは、人−−−ではなかった。
青い犬型のモンスター、チャウ。そのチャウの顔をしている人間…似ている人間はいるかもしれないが、まるっきりチャウの顔。明らかに人間の顔ではなかった。
そしてその額には大きな角が一本。背中には赤い甲羅が幾重にも重なってついている。
まるでチャウの亜種と人をくっつけたような…。
「これが、私の研究の成果の一部さ。
まぁこいつは出来そこないだが、フィアが手伝ってくれればもっといい存在を作り出すことが出来る。
モンスターの良いところだけを人間に付与し、利用していく…すばらしい研究だと思わないかね!」
チャウといえば良いか、人間といえば良いか…そんなチャウ人間が荒い息をして、ルゼルの傍へと寄っていく。
俺は慌てて二人の下に駆け寄ろうと走りだすが、それも途中で止まらざる終えなくなってしまう。
目の前に立ちふさがった者がいたのだ。
それは、にこにこ顔を浮かべたリシュアンさんだった。
だが、前に会った時と服装が全く違った。
前は町の神官らしい服を着ていたリシュアンさんが、今は黒茶色を基調とした身軽な−−−盗賊の服を着ている。
手に持ったナイフがぎらりと光り−−−そこで表情が変わった。
「あなたも…暗殺者の一味だったのか」
「まぁね。一応このリジス神官長様に雇われているんだよ。
改めて挨拶してやろうか?
俺の名はリシュアン・ドレイルだ。」
言って、ナイフを構える。
出会った時のリシュアンさんとは想像できないような不気味な笑みを浮かべる。
その瞳は、俺たちをなぶり殺しにしたいという感情を吐き出していた。
そんな獣みたいな瞳をされては、俺たちも攻撃態勢に入らざる終えなくなる。
リシュアンさんの後方にはリジスさんと、ルゼルとセルカさんの姿が見える。
二人ともリジスさんの傍で動けない状態だった。
ルゼルの足元には無数の白い糸が絡まりつくように取り巻き、一方では、セルカさんの体全体を丸く包むように光の膜が覆っていた。
そしてその中で何か光の珠が飛び交い、眉を潜めているセルカさんがいるような状態だ。
セルカさんの方はよくわからないが、ルゼルのほうは多分、このリシュアンさんが盗賊のスキルであるスパイダーウェブというスキルで足止めされているのだろう。
どう見ても二人は捕らわれている。
俺はルセルさんを見やった。
こくりと頷いて、ルセルさんがリシュアンさんとリジスさんの方に向き直る。
そして−−−
「かの有名な暗殺者、『瞬冷のドレイル』まで囲ってるとは、思ってなかった…ぜっ!」
ルセルさんがチャウ人間に向かって、すばやく技を繰り出した。
俺も合わせて前方に出る。
「二つ名を知ってる奴がいるとは…光栄だなっ! 」
言ってリシュアンさん‐‐‐暗殺者ドレイルの姿がふわりと掻き消える。
「インビジブルかっ!」
「くっ…まずはチャウ人間をっ!」
俺は指示を出すと、ルセルさんが小さく『おーけー』と言う。了承した意味だと解釈して、俺はチャウ人間へと走りよった。
チャウ人間も俺の下へ詰め寄ってくる。
ルゼルの近くまで寄れるかと思ったが、このチャウ人間、結構動きが早いっ!
「がぅわぅがぅ!!」
チャウの鳴き声そのままに、声を出して攻撃を仕掛けてくるチャウ人間。
額についた角を使って、突き殺そうと突き上げてくる。
それを拳の甲で横へと払いよけると、その手をそのまま捕まれ−−−
しまったと思ったときには、噛み付かれていた。
「いっ・・・くぅ・・・こいつ本当にチャウだろ・・・っ!」
手にかぶりつかれたまま、上に引き上げてから遠心力でぶんと腕を払う。
思い通り、チャウ人間は俺から牙を離した。
少し距離をおいて、遠くでぐるぐる唸っている。
「気色悪いもん作りやがって…リジスのやろう…」
ルセルさんが俺の横に来ると、噛まれた場所に手をやり、ヒールを掛けてくれた。
少し血がにじみ出ていた場所が塞がり、元通りの肌へと変わる。
「リジスの野郎…
おれは好きでこの屋敷に篭ったんであって、村のやつらに嫌われたわけじゃねぇってぇのに…
全く人聞きの悪い…」
ルセルさんがぶちぶち言いながら、リジスと、チャウ人間のほうを見る。
チャウ人間の後ろにはニヤニヤ笑っているリジスと、捕らわれたままのルゼルとセルカさん。
「気色悪いチャウ人間をさっさと片付ける!」
「んじゃあオレがめくらましっ!モノボルト!!」
ルセルさんの意見に賛同して、早速ルロクスがスペルを発動させる。
動きの速かったチャウ人間だったが、上から降り来る雷撃には反応できなかったらしい。
直撃して慌てふためくように雷の中を走り回る。
その混乱している隙を突いて、俺は走り込むと−−−
「とりあえず、もう寝な」
どすっ
腹から少し上のあたりに衝撃を与える。
どさりと倒れ落ちるチャウ人間。
ふうっ、一匹片付けた。
俺は息をつくと同時に消え去っているドレイルの居る先を見やった。