<アスガルド 神の巫女>

第一幕

第五章 ミルレスの町の神官



第十五話 結界を破る者


…イン。
「まじかよ…連続で2回も破られるってぇのか…」
「なぁ…何なんだよその破られたものってさ。わからなくって反応できねぇんだけど」
玄関の扉を見やったまま呟いたルセルさんに、ルロクスがいぶかしげに見上げ、言った。
俺には…何となく予想がついていた。
これだけの知識を持つルセルさん。この家に魔法で鍵を掛けていたことを考えると−−−
「もしかして、この辺りに何か仕掛けをしてあったんですか?」
「あぁ、結界を張っておいてあったんだよ。」
「結界?」
ルロクスが後ろで不安そうにしていたルゼルの方を向く。ルゼルはこくりと首を縦に振って話し出した。
「はい。結界というのはスペルとスキルを多用して作った“目に見えない壁”なんだそうです。
この屋敷とその周りの土地に近寄ることができないよう、その結界を張ってあるらしいんですが、
それが今、誰かによって壊されているっていうことなんです。」
「誰かにって…もしかしてあの暗殺者たちか?!」
ルロクスが事の重大さに驚いて声を荒立てる。
だが、ルセルさんは首を横にふった。
「いや、多分違う。あんな低級なやつらがおれの魔法を壊すことが出来るはずがない。
ましてや、ルロクスくんにモンスタースローを掛けてきた魔術師でさえ、あれを壊すことは出来ないはずだ。
ってことは…おれの追っ手か…」
「ルセルの…追っ手?」
そんなことは聞いたことがないといった顔をして、ルゼルがルセルさんを見やる。
ルセルさんは何も言わずに扉を見つめるだけ…
そして舌打ちをした。
…イン。
結界が壊れる音がした。
「これで4つめ…あと結界はひとつ…か…
よりにもよって、こんなときに来なくってもいいと思うんだがな…
上のやつらはねっちっこいやり方の好きな、嫌なやつが多いってか…」
「うえ?ルセル?」
問い掛けるルゼルの声に何も反応をしないルセルさん。
今、ルセルさんは何も言わなさそうだ。
「あ〜なにがなんだかわかんねぇ!けど大変だってぇのはわかった!」
ルゼルが不安そうにルセルさんの横に来ると、ルロクスがあぁ〜っと地団駄を踏む。
「あぁ、俺もよくはわからないが、ルセルさんかルゼルか、それとも両方か、
どちらにしても危険が迫っているって言うことはわかった」
「家の中の戦闘は逃げるときに不利だ。何とか外でやりあいたい。」
「そうですね。それじゃあルロクス、合図したら扉開けてくれないか?」
「何で俺なんだよ。おれだって攻撃を…」
「ルロクスくんとルゼがやるんだったら、ルロクスくんの方が、戦力的にも防御的にもいいと思わないかい?」
ルゼルのほうが攻撃力は上。それはルロクスにもわかっていることだった。
ルロクスがぐっと声を詰まらせる。心底、悔しそうに口を開いた。
「…わかった。合図されたら、いちにのさんで開けるぜ」
その言葉を聞いて、ルセルさんは早速スペルの詠唱に入っている。
俺も今現在覚えているありとあらゆるスペルやスキルを発動させ、己の身体能力を高める。
それを見たルゼルは、洗濯物に出そうとしていた自分の服を引っ張り出すと、上着だけを羽織って俺の後方へと回る。そしてすぐに、スペル詠唱に取り掛かっていた。
ルセルさんが俺たちにふわりとスペルを掛けていく。
体の中にある泉の水があふれ、その水が体の中にしみ渡っていく…そんな不思議な感覚がする。
ルセルさんがスペルを掛け終わるのを見計らって、ルロクスと目を合わせ、合図を送る。
「…やばいと思ったら、とにかく逃げてくれ。」
ルセルさんらしくない、少し弱めの声が聞こえる。
「いくぜ、いち…にぃの…さんっ!!」
…イン。
ルロクスの声と同時に、最後の結界の破れる音がした。


「もうすぐ正面に見えるはずだ。」
数歩、走って外に出ると、ルセルさんは即そう言って、スペル詠唱に入った。
何となく、この前、暗殺者に襲われたときに発動させたスペルの詠唱呪文に似ている…頭の片隅でそう思いながら、俺は前を見据えていた。
ルセルさんは多分、戦闘経験は少ないだろう。
まだルロクスは発展途上なわけだから…実質戦闘経験を積んでいるのは、俺とルゼルの二人だけ…か。
その事実に俺はさらに構える型に力がこもる。
ルゼルの追っ手であっても、いつまででも逃げていられるわけではないってことは、ここにいる誰もがわかっているはずだろう。
でも今、ここで捕まったらルゼルは−−−どうなる?
俺たちの正面の木陰から、人の影が現れた。
その人の姿を見て、思わず皆の動きが止まる。
ここに居る誰もが知っている人だった。
「セルカっ!」
ルゼルが叫ぶ。
灰色の聖職者服に身を包み、赤い球体がついた杖を携えているセルカさんは、その場に静かに立っていた。
「セルカっ!思い出したの?!
ここ、この場所をっ!」
ルゼルがうれしそうに問い掛ける。
だが、セルカさんはなにも答えない。
駆け出そうとする気持ちを必死に抑えているだろうルゼルは俺たちの後ろに居ながら、セルカさんに話し掛ける。
「僕のことを覚えてなくっても…ルセルのことは覚えている?
ルセルとセルカ、二人はとっても仲良くって、僕たち、三人で一緒にこの家に住んでたんだよっ。
ねぇっ、ルセルからも何かセルカに−−−」
「違う。」
ルゼルがまくし立てている横で、ルセルさんは冷静な声ではっきりと言った。
「おまえは誰だ。」
「な、何を言ってるの?ルセル」
困惑するルゼルを置いて、ルセルさんはそう、問い掛け、持っていた緑色の球体がついた杖を構えた。
その言葉に、俺たちは困惑するしかなかった。
だが目の前に居る冷めた瞳をした女性、セルカさんの強さ−−−というよりも怖さを知っている俺は、攻撃の態勢を崩すことはしなかった。
左足を前方に、右足を後方にずらしたまま、じっと話の行く先を見つめる。
ルセルさんの言った言葉は断定をしているような言い方だった。
肝心のセルカさんは、目線をそらすこともなく、ルセルさんを見ている。
その目をひたりとルセルさんは見据える。
「おまえが居なくなって、ルゼまで消えた後…
あのリジスの下にルゼとおまえが居たのなら…もしかしたら人体実験もされていたんじゃないかと思った。
その作用で、おまえに何らかの力が発動して記憶が…果ては自我が無くなってしまったんじゃないかとさえ考えた。
だが、今、その考えは全く違ったと思ったよ。」
セルカさんが肩にかかった自分の髪をうっとうしそうに払い、後ろへ戻す。
話には興味無いと言いたげなそのしぐさを見ても、ルセルさんはひるむことも無く問い掛けた。
「いくら俺のもとに居たからとはいえ、あの結界を破るような知識は教えていない。
力づくで破壊させるなんて、人ではありえない力だ。
だから再度問う。おまえは誰だ。
何者だ!」
するとセルカさんは問い掛けられた言葉にさらりと答える。
静かな瞳をしたまま告げたのは、前に一度聞いたことのあるような言葉だった。
「我はただ、人間の犯した罪を取り払い、秩序をもたらす存在。
人は我を“死を告げる存在”と呼ぶ。」
「…
……な…んだと…?!」
ルセルさんの声がかすれた。
思いがけなかったその声に、俺も慌ててルセルさんの方を振り向く。
見れば、信じられないといった表情をしたまま、ルセルさんは凍るように立ちすくんでいた。
「今…おまえ…何て…」
「ルセルっ!」
数歩、歩み寄ろうとしたルセルさんの袖をがっちり掴んで、ルゼルが引き留める。
予想外すぎるルセルさんの顔に、俺もルロクスも、ルゼルですらも慌ててルセルさんの行動を引き止めた。
止められたまま、ルセルさんは呆然とした顔でセルカさんを見つめ−−−呟く。
「死を告げる者…だと…?」
「ルセルさん…?」
精神が切れてしまったんじゃないかと思えるその表情に、思わず俺は聞き直し、側に寄った。
未だに、いつもの表情ではない虚ろな瞳をして、ルセルさんは俺の問いかけに無心状態で話し出す。
「さっきみせただろ…あの赤く燃えるような色をしたドロイカンマジシャンの絵…」
「ドロイカンマジシャンじゃねぇって言ってたあれのことか?」
さっきまで見ていた本を思い浮かべ、ルロクスが言う。
それにこくりと頷く俺。
「あの絵は…何のモンスターだったんです?
ドロイカンマジシャンでも、ましてやドロイカンナイトでもないとルセルさんが言った、あのモンスターは…」
俺の問い掛けに、ルセルさんは一度深く息を吸い込んだ。そしてゆっくりとこう言ったのだ。
「死を告げる者…デスメッセンジャーだよ。」
ルゼルや俺の手を払うように動かしながらそう言った。