<アスガルド 神の巫女>

第一幕

第五章 ミルレスの町の神官



第十三話 戸惑いと戸惑い


「ルロクスくんは〜うん、3つとも覚えられたな。
ルゼもしっかり習得できたな。
ジルコンくんは、言うまでもないね。完璧だ」
玄関にはルロクスの姿しかなく、俺とルゼルが家に帰ってきたとき、ルセルさんの出迎えもなかった。なにやら部屋に篭っているようだった。
ルセルさんが部屋を出てきたのは、ルロクスが一生懸命スペルを覚え終わった、夕闇が静々と迫りつつあった時間だった。
ルセルさんが嬉しそうにルロクスの頭に手をぽんと乗せると、なでなでと撫でる。
その仕草に、ルロクスは恥ずかしそうに『やめろよぅ』と体をよじる。
「そういえば、ルゼルはなんのスペルを覚えてたんだ?」
「え?えっと…アイススパイラルだけど?」
するとルロクスが不思議そうに首をかしげた。
「え〜?だってルゼルってハリケーンバインを覚えてるんだろ?
アイススパイラルってたしか…ん〜ずいぶん前に覚えることが許されてるスペルじゃねぇの?」
『オレとおんなじ、あべこべじゃん!』と覚えるスペルの順番を指摘する。
俺はそこまで詳しく魔術師のスペルを覚えているわけじゃないから答え様がない。ルゼルの方を見ると、ばつの悪そうに目を伏せる。
そこでルセルさんが助け舟を出した。
「あ〜〜…ルロクスくん。ルゼルの場合は覚えるのが面倒でっていう理由じゃないんだよ。
多分……
スペル買う金、なかったんだろ。」
指摘されて、ルゼルが更に体を縮め、小さく頷いた。
「そっか…お金がなくって買えないまま、違う魔法を買ったりしたわけだ…」
「はい…アイススパイラルのスペルが書かれている本がどうしても高かったので、つい…
そうしてる間にミミックっていうモンスターからヒットストライクというスペルを手に入れて…
使いやすそうなウィンドバインというスペルが破格の値段で売っていたんで…手に取れる金額でしたし…」
「そか、それならしかたねぇんだな〜」
ルロクスがさらりと納得する。
まぁ今日でルロクスも満遍なく魔法を覚えたようだし、良いのかもしれない。
「それもこれも師匠である俺の教えが良いからだぞ〜感謝したまえ〜」
わざとらしく胸を反らす仕草をするルセルさんに、ルゼルがぼそりとこう言った。
「弟子の僕達の覚えがいいからです。」
「本渡してこれ覚えろってだけじゃ、師匠がどうのこうのって言えねぇよな」
ルロクスも同意して言う。
ま、まぁ、俺も本を見て自力で覚えたのは覚えたけれど…
「え〜っと、俺の場合はルセルさんのまとめの紙を見たからできたんであって…
ルセルさんのお陰と言えると思うけど…?」
「そ〜だろ?そだろ!」
二人のばっさり切り捨てる物言いに俺は思わずそう言うと、ルセルさんは嬉しそうに言って笑い出した。
それを見て、ルゼルは首を振ってこう言う。
「ダメですよジルさん。ルセルをおだてると、後が困るんですから。」
「え…?」
「修行の量が増えるんです。」
・・・え〜っと・・・
「経験者は語るってか…」
ルゼルの言葉に反応に困っている俺の横でルロクスがげんなりとした顔をして呟く。
その傍らで、当のルセルさんは今だ楽しそうに『か〜っかっか』と笑い声を上げていた。


夕食を食べ、紅茶を用意して一息付いたとき、不意にルゼルがこう言い出した。
「ルセル、ちょっと聞いてもいい?」
「ん〜?何だ?」
「セルカのこと、聞かないけれど…セルカのこと、嫌いになっちゃったの?」
今まで全く関係のない話をしていたわけで…ただおれは閉口した。
セルカさんのこと、聞いていないわけじゃない。俺から聞き出していたからだ。
でもルゼルからは何も聞いていなかったのか…
「ねぇ、どうなの?もう僕だけ帰ってくれば、自分は寂しくないとか?」
ルセルさんは答えない。
きっと考えあぐねているんだろう。
「それに…」
ルゼルが声を詰まらせる。
「あの日いきなり僕はこの家を出たけど…でもルセルが僕の後を付いてこなかったのは…どうでも良かったから…?」
しばらく沈黙が続いた。
ルセルさんが俺にセルカさんのことを聞いてきたことを言おうと口を開こうとしたとき、
まるで計るかのようにルセルさんが口を開いた。
「…すまんな…気分が悪くなった…お先に失礼するよ」
ルセルさんは問われたことに答えることなく、ただその一言を言うと、足早に部屋を出て行った。
残されたのは、ぐっと唇をかみ締めているルゼルと、ことの成り行きを見ていた俺とルロクス。
しばらく沈黙が続く…
「…あれは…だめだよ…」
何も言えない、言わないルゼルに俺はそう言った。
ルセルさんはルゼルの前では本当に楽しそうにしている。でも、多分ルセルさんは…
「ルセルさんはセルカさんのこと、きっと心配しているよ。それをルゼルには言わないようにし−−−」
「わかってます。」
ルゼルが少し大きめの声で答えた。
寂しそうに眉をひそめて、一生懸命言葉を紡ぐ。
「わかってるんです。
ルセルが僕のことを心配してくれてるってことも、
僕のことを気遣ってセルカのことを言い出さないってことも、
セルカに一番会いたいって思ってるのはルセルだってことも。
ルセルが意地っ張りな事だって知ってるから…だからあえて僕は問い掛けたんです。」
ルゼルがふいっと俺たちから背を向ける。何かを堪えるかのように握りこぶしを作ったまま、話しつづけていた。
「僕がここに戻ってくるときは…セルカと一緒だって…ルセルと三人で一緒にって…」
「ルゼルさ〜いつも辛いことばっかり考えてるだろ。」
ルゼルの話を遮って、ルロクスが不機嫌そうに言った。
「やるせない気持ちをルセルにぶつけたらダメだろ?」
「え?」
ルゼルが不思議そうにルロクスを見る。今ルロクスが言った意味が全くわからないといった、そんな顔をして。
「ルセルさんがセルカさんのこと聞こうとしないのは自分を気遣ってのことだって分かっているなら、
自分からセルカさんのことを話したほうがいいと思うよ?」
俺はルゼルの背中にむけてそう言った。
ルゼルだって、ルセルさんだって、両方とも聞きづらい言いづらい状態になってしまっている。
それならルゼルから言い出した方がいいのかもしれない。
「ルセルさんがいじっぱりだってことは何となく俺もわかるよ。
昨日の夜、お酒を一緒に飲もうと誘われたとき、セルカさんのことを俺に聞いてきた。
多分、真っ先に、すぐにでも聞きたかったことだったんだろうと思う。
でもそんな気配全く見せないままで、いろんなことを話してくれた。」
家を飛び出してまでセルカさんを探しに行ったルゼルがセルカを連れずに帰ってきた。
そんな状態のルゼルにセルカさんの話を聞きまくるのは、責めるようで嫌だったんだろう。
俺は優しくルゼルに言った。
そして、
「ルセルさんの部屋へ行っておいで。」
俺は近寄ると、とんとルゼルの背中を軽く押した。
この部屋の扉の方向へとルゼルを向けてやる。
ルゼルは少し躊躇して、振り向きざまに俺を見たが、俺は更に背中を押してやる。
「兄妹、仲良くしてないとね。いろいろゆっくり話しておいで」
「…すみません…」
ルゼルはそう言うと、一度振り返ってぺこりとお辞儀をすると、部屋を出て行った。
「…セルカは、どうしてルゼルの傍から居なくなったんだろうな…」
「さぁな…」
ルロクスの呟く声にまともな答えを出すことが出来るのはセルカさんだけだろう。
俺とルロクスは、ルゼルが出ていった扉をしばらくの間見つめていた。