<アスガルド 神の巫女>

第一幕

第五章 ミルレスの町の神官



第十話 行方


暖かい御飯と、とても住み易そうな良い部屋を貸してもらって、しかも宿屋の風呂並みの大きさの風呂に一人で浸かるという豪華なことが出来て、もう、満足だった。
「それじゃ、おやすみなさい。ジルさん」
連れ立って廊下を歩いていた俺とルゼル。俺の部屋の前まで来るとルゼルはにっこりと笑ってそう言った。
じゃんけんの結果…俺はルゼルの隣の部屋にすることにした。
…だ、だって、ルゼルに何かあったとき、すぐに身を呈して守れるだろうしっ…
ルゼルが心配だと言うのはあるけれど、る、ルセルさんが思っているようなことは俺は考えてない。本当に考えてないっ。
「お、おやすみ。ルゼル」
「はい〜良い夢を。それでは」
言うと、にっこりと笑ってからルゼルは自分の部屋へと入っていった。
俺も部屋に入って扉を閉めようかと廊下に背中を向けたとき−−−
「ルゼの隣の部屋になったのは、や〜〜っぱりジルコンくんだったかぁ〜」
腕を組んでうんうんと頷いているルセルさんが、廊下に居た。
「え?あ、こんばんわ」
「こんばんわ。」
にっこり笑って俺の挨拶に答えるルセルさん。
な、何かあるんだろうか…笑顔に少し怯えながら様子を見ていると、ルセルさんは不意に天井を見上げてこう言った。
「さて、夜だ」

「は、はい」
疑問に思いながら答えるとルセルさんは嬉しそうに笑って、
「酒、付き合えるだろ?」
言うと即、酒瓶を俺に手渡したのだった。


「おっ、飲める口だねぇ」
ルセルさんが嬉しそうに言いながら、グラスに入った赤い酒を飲んだ。
「俺、一応未成年ですけど?」
「そんなの気にしな〜い。みんな自己責任自己責任〜
それにモス酒とか飲んでるだろ?」
「まぁそうですけどね」
「それに、ジルコンくん、生まれはサラセンだろ?
サラセンでは確か、15歳になったらもう酒を飲んでるのが一般的じゃなかったっけ?」
俺がわざとらしく言ったその言葉に、ルセルさんはにやりと悪戯っぽい目をして笑いながら返した。
ルセルさん、よく知ってるなぁ。
別部屋にルゼルやルロクスが寝てる手前、余り騒ぐわけにはいかないこともあって、ルセルさんは声を小さめにしながらも騒いだ。
俺も声を控えめにしながら笑った。
「久しぶりに酒飲むからなあ」
「おいしいお酒ですね」
「それはよかった。」
とても楽しそうに笑っているルセルさん。
その楽しそうにしていたルセルさんの顔が不意に曇る。
そして話を切り出した。
「で、だ」
自分のグラスをじっと見つめながら言った。
「ルゼがいるから聞けなかったんだが…」
「?なんですか?」
話しにくいことなんだろう。
少し間を置いてから、ルセルさんは口を開いた。
「ルゼとセルカは…出会えたんだよな…」
「は、はい…ですがセルカさんは…」
「今、ルゼの傍にいない。」
「はい…ルゼルいわく、今のセルカさんは何かおかしくなっちゃったみたいだ…って…」
「おかしく…か…
今日、おれがルゼと会った時、体調が悪いルゼの傍にセルカが居なかった…
セルカが不意に居なくなったのはおれも見てる。
おれとルゼの居る前でどこかに歩いて言ってしまったんだから…
でもルゼがセルカと会えたならきっとルゼの傍に居る、そう思っていた。
でも居なかった。
会うことが出来てないのかどうなのかすら、おれは聞けなくなった…
臆病だなと自分でも思う。
居なくなった日、最後に見たセルカは少し様子が変だとは思った。
でも今もおかしいままっていうのは…考え付いてなかったよ。」
ルセルさんがじぶんのグラスを一気にあおる。そしてまた手酌で酒を注いだ。
「ジルコンくん、君は賢そうだから君の意見を聞いておきたい。
君はセルカを見てどう思った?ルゼに敵意を持っている感じだったのか?」
不安そうに問掛けるその顔。
俺は今思っている通りに話した。
「憎しみとかそんな風じゃなくって…
俺は、セルカさんがルゼのことを全く忘れてしまってるみたいに見えました。」
「全く忘れている?」
ルセルさんが眉を潜める。思っても見なかった答えだったんだろう。
『どういうことなんだ?』と目が語っている。俺が話すのを待っているようだった。
「えっと…憎んでるのでも悲しんでる顔でもないし…
しいて言えば…冷たい瞳をしていました。」
「冷たい瞳…ね。セルカがルゼのことを他人のように見るなんて、普通なら考えられないな…
そうか、それで記憶を無くしてると思ったわけだ」
俺がコクリと頷いて、グラスに口をつける。
「記憶が無くなったか…あの戦闘のときに頭でも打ち付けたのか…」
「あの戦闘のとき?」
問い掛けていいのかどうか迷ったが、分からないままでは何も言うことが出来ない。
俺はルセルさんに問い掛けると、ルセルさんは言いよどむような気配もなく、こう答えた。
「セルカがいなくなった日…その日にな…
おれはこの家に居なかったんだよ。
生計を立てるために、おれが記憶の書でアルシュナの元へ物を売りに行ってたんだ」
記憶の書…言われてもしかしてと気が付いた。暗殺者から逃げるため、ルセルさんが使ったあの本みたいな物が多分、記憶の書と呼ばれている物だろう。
記憶の書に場所を記憶しておき、記憶の石という魔力を持った石を持っていれば、いつでも何処でも、その記憶をした場所にいけるのだという。
実際今まで実物も、使ったこともなかったのだけれど…そうか、あれだったのか。
記憶の書でアルシュナさんの働いている宿屋に行くのなら一瞬だろう。
狙われている二人を残して、徒歩で町へ行くなんて時間のかかることをするよりは断然いいはずだ。
俺は話を聞きながら納得をした。
だが、ルセルさんは淡々と話しつづけた。
「そう…数分間のうちに起きた出来事だった。
おれがいないのを狙って、あの暗殺者たちがおれの家に押し入ったんだよ。」
淡々と話すルセルさん。あまりに淡々と話すその口調に、俺は逆に辛さを感じた。
一生懸命、感情を押し殺しているような…でもそれを見せようとしない…
俺はじっとルセルさんの話を聞いていることしかできなかった。
「いきなりのことで何も対処ができなかったんだろう。セルカとルゼは家から出て森を走り回ったんだ。
俺が見つけたときには、ルゼは泣きじゃくっていて、
後ろにいたセルカは…普段とは違った。
ルゼはこう言ったんだ。
『セルカが悪い人に刺されて、倒れて…
気が付いたらセルカが悪い人全部倒しちゃってたの…殺しちゃってたの…』
ってな。
戦闘時に攻撃を受けて、それを引き金にしてセルカが凄い力を出したっていう
“生存本能による力の発動”ならば、納得は出来る。
力の発動による暴走状態…それならあのときの様子もわからなくはない…
でも普通なら、そうなった時には錯乱するはず…
自分のおぞましい姿を味方に−−−ルゼに見られたってことで、ショックを受けるはずだ。
そのショックが混乱を招くんだよ。
女性なら怖い自分を大切に思っている人に見せなくないという気持ちは大きいしな。」
「でも…セルカさんはそのとき、そうじゃなかったってことですか」
「あぁ…どういうことなんだろうな…
ルゼが狙われてることといい、セルカの後ろに大きなドロイカンマジシャンが見えたことといい、
わからないことだらけだな。」
「ドロイカンマジシャン?」
俺は眉をひそめた。
ドロイカンマジシャン…それはルケシオンという町の近くのダンジョンに住んでいるというモンスターで、体が青いことから“蒼い龍”と言われているモンスターだった。
ドロイカンマジシャンの吐息は多くのものを焼き尽くすとも言われている。
そんなモンスターがどうして?
「なぜドロイカンマジシャンが見えたのか、わからない。スペルを使った際の現象かと思っていろいろ調べたが…当てはまるようなスペルは無かった。
召還…はセルカに使えるようなものではないし…」
「そ、そういえばセルカさん、俺たちに攻撃してきたとき、デスチャンプスミルを召還したんですけど…」
「…本当か?」
渋い顔で問い掛けられ、俺は声を出せずにただこくりと頷くと、ルセルさんはなにやらぶつぶつと考え込んでしまった。
そういえばルゼルはセルカさんに一度会ったことがあると言っていた。あれは多分、ルセルさんのいるこの家から出て、旅をしてから出会えたってことなのだろう。
詳しくは聞かなかったが、そのときにルゼルはセルカさんの様子が普通と違うと気づいたのかもしれない。
ちょっとはセルカさんのこと、ルゼルに聞いておけばよかった。
ルセルさんと話をしていて、セルカさんとルゼルの関係が分からないこともあったが、それよりも昔のセルカさんの様子とか何気ない話を聞いてないことに気づいた。
明日にでも、それとなしにセルカさんのことを聞いてみよう。
「でもどうしてルゼルの−−−あ、いえ、何でもありません。」
思い出した疑問を聞こうと口を開いて−−−途中で気がついてやめた。
こんなこと、聞いて良いような気がしない…
だが出かけた言葉を飲み込んだその違和感に、俺は手元にあったグラスの中の酒を飲み干した。
ルセルさんがふっと笑ったような声が聞こえる。
「なんだい?何か聞きたいことがあるんじゃないのかい?
遠慮しなくっていいんだから。
“どうしてルゼルの後を追っていかなかったか?”って言いたいんだろ?」
口に入っていた酒を思わず噴出しそうになる。
「普通、不思議だと思って当然だよ。
理由は至って簡単なことだよ。
外へ出ることが臆病になっていて、出る決心がついていろんな町に行って探し出したときには、
もうすでにルゼルの足跡は消えてしまっていたんだ。
バカだろ。おれ。さっさと行動していればよかったのにな。」
俺は答えることなんて出来なかった。
町の外に一歩でも出ればモンスターがうようよ居るようなそんな世界。
旅に出ることを簡単に決めることは出来ないと思う。
「ルゼが出来たことを、師匠であるおれが出来ないって…かっこ悪いと思うぜ…
ほんとかっこ悪い。
あ〜あかっこ悪いなぁ。おれっ!」
少し大きな声でぼやきながら、ルセルさんは酒をそっと飲み干した。
そして小さな声でふふふっと笑う。
「でもさ…よかったよ。」
顔を上げて俺に笑いかけてくる。
話の先が思いつかず、不思議そうな顔をするとルセルさんがさらににっこりと笑いかけてきた。
「ルゼルって名前をルゼがずっと使っててくれたことさ。
おれ、その名前を聞いて、君たちがルゼと一緒に居るんじゃないかって気づいたんだから」
『おれがあそこの場所にいて、本当に良かった』と頬杖をついて、心底安堵したように言う。
名前かぁ…そこで俺はふと気づいた。
「そういえば、ルセルさんの名前ってルゼルと一緒だったような気がするんですが…
気のせいでしたっけ?」
言われたのが不思議だったのか、ルセルさんが首をかしげながら俺を見る。
「ん?ルゼはどう名乗ってるんだ?」
「えっと、ルゼル・T・ナータって名乗ってますが…Tはテータだったかな…」
たしかそう言っていたはず…と記憶を手繰りながら答えると、ルセルさんはくすりと笑った。
「おれの名前はルセル・T・ナータだから−−−そっか…確かに同じだな。
どうせルゼのことだから、とっさに出てきた後ろの名前がおれの名前だったのかもしれないけど、でも、光栄だな。
ルゼには言ってないけど、おれのTはテスラのTだから」
『そこだけ違うな』と言って笑う。
名前−−−ルゼルというの名前も偽名…なんだよな…
「ルゼルという名前は−−−偽名なんですよね…?」
「あぁ。
実はさ、おれとはじめてあった時、名前を問いかけてもセルカの後ろに隠れて、名前を言おうとしなくってさ。
セルカも自分の名前は言うものの、ルゼの名前は言おうとしなかったんだ。
それだから、おれが勝手にルゼのことをルゼルって名前付けたんだよ。」
「え?ルセルさんが?」
「あぁ、冗談で俺の名前に濁点つけて命名してみたら、なぜかルゼが喜んでな。
セルカも喜んでるルゼを見て、その名前で呼ぼうって思ったらしい。
その名前をずっと使ってくれてるのは嬉しいけど…女らしくないよなぁ…
今としてみればその名前だと女の子だとは思われないし、
ルゼルを追うやつからの目くらましにはなってるから良いと言えばいいけどな…」
苦笑いをしてルセルさんが言った。
驚いた…ルセルさんが名前をつけたとは思ってなかった。てっきり俺はルゼル自身がルセルさんの名前を真似てつけたのかと思って問いかけたんだけど…
じゃあ、ルゼルの本当の名前って一体…
ルセルさんは知ってないってことだよな…
「ルゼルの本当の名前って知らないんですか?」
「あぁ、知らない。
言わなかったし、セルカに言うなと言われていたのかもしれないが…
はぁ…ルゼってセルカが関わると頑なに口を閉ざしちゃうんだよなぁ…
まぁ、頼りに出来るたった一人の人だから仕方ないと言えば仕方ないんだけどなぁ」
ため息交じりでルセルさんがぼやいた。その顔に少し笑ってしまう。
心底しょうがないやつだなぁと思いながらも、とってもルゼルのことを思っているのがわかったからだ。
ルゼルの名前…そういえばリジスさんがセルカさんの名前と、ルゼルではない名前を言っていたのを思い出した。
「そういえば…俺とルロクスにセルカとルゼルのことを依頼したとき、リジス神官長は
“セルカ・ストーンウッド”と“フィア”という名前の二人を探してくれって言ってましたよ?
フィアって名前がルゼルの本名なのかも…」
俺が言うとルセルさんがふむと口元に手を当てて、なにやら考える仕草をした。
「セルカの下の名前はストーンウッドか…それも知らなかったな。
で、ルゼの名前がフィアか…」
「えぇ、そう言ってました」
伝えると、ルセルさんは渋い表情をして口元にあった手を額に当て『フィア…』と呟いた。
「フィア…
フィアー…
fear…
古代の言葉の意味で、“恐れ”や“人を怖がらせる”という意味…」
「え?」
「そんな意味で名前をつけられたわけ…ないよな…」
「ルセルさん?」
様子がおかしいルセルさんを気にして、俺はどうすればいいのか分からなくなって、名前をそっと呼んだ。
その声に反応したのか、ルセルさんは、ぽつりぽつりと呟くように言った。
「おれやセルカはルゼの幸せを願ってる。
おれはルゼを本当の妹だと思ってる。
だからルゼを守ってやりたい…守る。
再び会えたルゼを…守る。
セルカも探し出して…守る。
そのためにはおれは、敵と判断したやつらには…容赦しない。」
ルセルさんはそのまま落ち込んだような表情をして、グラスの酒を飲み干した。