<アスガルド 神の巫女>

第一幕

第一章 スオミの森の迷宮



第三話 人違い



「ごめんなさい。ルロクスが勘違いしてしまって…」
紅茶をいれたポットをそっと傾けて注ぎ、俺とルゼルの前にカップを差し出すと、イリフィアーナさんがおっとりとした口調で俺とルゼルに謝った。
ここはイリフィアーナさんの家。
ルゼルの人違いでそこに居る女性、イリフィアーナさんを強引にも引き止め、その無礼を謝ろうとしたそんな時にルロクスというこの少年が現れた。
俺たちが強引にイリフィアーナさんにちょっかいをかけているんだと勘違いしたらしい。ルロクスはイリフィアーナさんが最近言っていた”つきまとう不審者”だと判断して、あのスペルを炸裂させたのだった。
「路地裏でイリィが不安そうな顔をしてて、その目の前に知らない奴が居る、って場面だったら、
ああするだろ?普通」
ルロクスが当然と言った表情で俺たちを見る。イリィってイリフィアーナさんのニックネームか何かだろう。
青色のワンピースに深い青色の髪のイリフィアーナさんはルロクスの発言に少し苦笑いを浮かべた。
黒い髪をバンダナでまとめているこの少年−−−ルロクスの突然の行動に止める隙が無かったらしい。
苦笑いをしながら『ごめんなさい』とまた小さくこぼした。
イリフィアーナさんはこの家に一人暮らし。それを心配してルロクスはいつも遊びにきてくれている友人なんだとイリフィアーナさんは言った。
俺はてっきり二人は姉弟なのかと思ったんだが、違ったらしい。
ルロクスはイリフィアーナさんを心配そうに見上げて『大丈夫だったか?』と何度も問い掛けている。
そして未だに不審そうな顔をして俺たちを見てきた。
ルロクスのその目に少しだけかちんと来たが、無理やり引きとめて、驚かせるような事をした俺たちが悪いんだから仕方が無い。
「でもいきなりあのアイスボールはどうかと思うよ…」
ぼそりと突っ込みを入れるルゼル。やっぱりあれはルゼルもちょっと困ったのか。
俺たちはとっさにアイスボールを避け、射程範囲から遠い場所に逃げてから誤解だってことを説明して、事なきを得たんだが。
「どんな敵でも油断をせず、自分の全てを出して戦うってのが基本だろ?」
そう言って胸を張るルロクス。
…え〜っと戦術的には合ってると言われれば合ってるんだが…
「私はスペルもスキルも、ましてや戦い方も知らないけれど、お話も聞かずにスペルを使うのはだめだと思うわ?」
イリフィアーナさんに言われ、ルロクスはううっと唸ってみせた。
でも結局は
「おまえらが悪いんだからな〜」
とふてくされ気味で俺たちに言った。
そこであっとルゼルが声をあげると、申し訳なさ気に話し出す。
「あの、ぼくはルゼル・T・ナータと申します。さきほどはいきなり強引なことをして、本当にすみませんでした。」
「あ、俺はジルコン・F・ナインテールです。俺からも謝ります」
俺も慌てて自己紹介をしつつ、謝った。突然の行動に驚いたのはイリフィアーナさんだけじゃない。俺も、ルゼルの突然の行動にびっくりした一人だ。
その無礼な行動を止められなかった俺にも非があるんだし。
俺とルゼルが頭を下げているとイリフィアーナさんは『顔を上げてください〜』と柔らかな声で言った。
「ちょっとびっくりしましたけど、お気になさらないでください」
イリフィアーナさんはそう笑いかけると、『この頃、ちょっとへんなことがありましてね〜』と続けた。
「この頃、ポン達の様子がおかしいんです」
「は?」
いきなりの話に、俺たちは思わず頭の上に疑問符を浮かべた。
「昔は全く寄り付かなかったのに、急にこの頃、このスオミの町にポンが入り込むようになったのです。」
イルフィアーナさんの横に座っていたルロクスが眉を潜める。
「そんな話…オレ聞いてないけど?」
「そうよ?私が言わなかったんですもの〜聞いてなくて当然です」
悪びれた素振りもなく、イリフィアーナさんがルロクスに微笑みかける。
「だってルロクスに話したら、おもしろそうだから原因を突き止めるんだとか言って、
すぐにスオミの森へ行っちゃうと思ったんだもの。それも一人で。」
『だから言わなかったの』と再度微笑みかけられ、ルロクスは悔しそうにしながらも、『でもっ!』と声をあげた。
それを制するようにイリフィアーナさんが再び話を始める。
「ポンの生息地に異変が起きているのだとしたら、生息地に近いこのスオミにも影響が及ぶ恐れがあります…
調査の人たちがスオミの森に向かったんですが音沙汰がありません。」
そうか…ポンがこのスオミに入り込んできてるのか〜
「今日会ったばかりですが、お二人にご相談があるのです…」
とイリフィアーナさんが言い出すのを聞いて、はたっと気が付いた。
「ちょっと待ってください。
ポンの異変と…俺たちがルロクスに間違われた”つきまとう不審者”と…
なんか話が逸れてません?」
俺の発言で横にいたルゼルも、前に座るルロクスも気づいたらしい。
ルロクスはさも疑問そうにイリフィアーナを見つめたが、当のイリフィアーナは
「逸れてませんよ」
イリフィアーナさんはカップを両手で持て遊びながらそう言った。
はっきりとした口調で話しているイリフィアーナさんだったが、その手の仕草で俺は何か言い淀んでいるんじゃないかとわかった。
人間、緊張したり、言いにくい話をしたりする時には、近くに物があると触ってしまうものである。
「とにかくお二人にご相談が−−−」
「なにはぐらかそうとしてるんだよ」
ルロクスが不機嫌そうにイリフィアーナさんを見やる。
「イリィのそばを誰かが付きまとってるって話も、俺に直接言わなかったじゃないか…また言わないつもりで−−−」
「そういえばルロクス、薬屋のレスティさんがあなたにみせたいものがあるってーーー」
「その話は、今の話と関係ないんだろ」
ルロクスの強い口調にイリフィアーナさんは黙り込んだ。
…ルロクスには聞いて欲しくない話ってわけだな…それでももう話は進むところまで進んでしまっている。
もしかしたら俺がつっこまないでいたらそのままポンについての調査を俺たちに頼むつもりだったんだろうけど…
「よくわかりませんが、僕で出来ることなら喜んでしますよ?
人違いをしたお詫びでもありますし。」
ちょっと論点がずれた発言をしてルゼルがにこりと子供みたいな笑顔を見せた。
その笑顔にほだされたのか、イリフィアーナさんはちらりとルロクスを見やりながら、こう話した。
「一人で私が町の中を歩いていると、決まって何かが付いてくるんです。たぶんあれはモンスター…」
「ポンが付きまとうのか!?」
「違うの…みたことのないモンスターだったわ…」
イリフィアーナさんが目線を逸らすと、ルロクスは机を思いきり強く叩き、
「そんな大事なこと、なぜ俺に言わないんだよ!」
怒り爆発寸前でイリフィアーナさんに詰め寄った。
そのまま無言で対峙する二人。
その緊張の意図を解いたのは
「あの〜それじゃあそのポンの調査、僕がしてみますよ」
ルゼルだった。
「あの、君とジルさんはイリフィアーナさんの傍について守っていてください。
見たことの無いモンスターっていうことですし、お二人がついていれば安全でしょうし」
「おいちょっと待てよ!
スオミの森のモンスターならルゼル一人で大丈夫だとは思うが、
その見たことの無いモンスターがもしかしたらスオミ森にいるかもしれないんだぞ?」
「”もしかしたら”でしょう?今はイリフィアーナさんの周りに現れているんですし
スオミ森には出ないと思いますよ」
『イリフィアーナさんを守ってあげないと』と言ってにこっと笑う。
何の根拠も無い発言をして…こいつは…っ!
「俺もルゼルと行く。イリフィアーナさんにはルロクスがいるんだし、
いざとなれば近くにいる魔術師に頼れば大丈夫だろ」
ここは魔術師の町だ。強い奴はたくさんいるはずだ。
俺はなぜか頑なに一人で行こうとするルゼルに絶対付いてってやろうと、イリフィーナさんの
守りはルロクスに任せた。ルロクスも同意するだろう。
そう思ったのだが、ルロクスは首を横に振った。
「いや、イリィはスオミ神官のアリスさんのとこに行って、守ってもらうほうがいい。
俺はこいつらと行く。」
「はぃ?」
「だからおまえらについてくって言ってるんだよ!」
怒り気味にルロクスが言い、ルゼルの肩を力いっぱい叩く。
「こいつが行くって言ったんだ。このルゼルに付いてポン調査する。
おまえもルゼルについていくってだけだろ?文句はいえねぇよな?」
『だけ』の部分を強調させて、ルロクスが小憎らしい屁理屈を言う。
つまりは…ルゼル次第ってことか…?
当の本人、ルゼルは
「えっと…僕一人で行きたいんですけど…」
やっぱり困った顔をして一人で行きたいとか主張する。
そんな困惑している状態の中、
「ルロクス…」
今まで黙っていたイリフィアーナさんが呟くように名を呼んだ。ルロクスもその声に気づいて沈黙したままイリフィアーナさんを見やる。
友人が危険なところへ行くと言っているのだ。イリフィアーナさんが不安がるのは当然だろう。
やはり引き止めるんだろうな…そう思った。
イリフィアーナさんは胸の前で祈るように両手を結びながら、ルロクスを一心に見つめる。
その姿はまるで子供たちを見守る天使のよう…
自分の中で決心がついたんだろう。イリフィアーナさんは一度頷くとにっこりと微笑み、ルロクスに言った。
「戦うときにお二人の邪魔になるから、行っちゃだめ。」
…。
…今のって…にっこり微笑んで言うようなセリフだったか…?
満面の笑みを浮かべて言い切るイリフィアーナさんの前で顔を引きつらせるルロクス。
「お、俺だって魔法を使えるし、邪魔になるなんで絶対な−−−」
「足を引っ張って、ポンがなぜ町に来たのかって謎がわからなくなるから、ダメ。」
言葉をさえぎって再度、言い切る。
とっても悲しそうな顔をするルロクス…
うわ…不憫だ…
「る…ルロクスさん…スオミの森の案内を…お願いします…」
ルロクスをまるで信じてないようなイリフィアーナさんの発言に涙していたルロクスは、ルゼルの提案にこくりと頷いたのだった。